20代

Posted on 2012-11-07
なりたい自分になるための「脱藩」Back Packers Japan本間貴裕さん・宮嶌智子さん/空間デザイナー東野唯史さん

今回インタビューした脱藩同志の皆様

本間 貴裕さん Back Packers Japan CEO

1985年生まれ。福島県会津若松市出身。
福島大学3年時の春、35リットルバックパックと共にオーストラリアを一周。大道芸人(バスカー)として働きながら旅を続けた。帰国後に内定していたコンサルタント会社を内定式前日に辞退、自身での起業を決意。その後、個人事業でたいやき屋を開業して資金を作り、2010年2月に 株式会社 Backpackers’ Japanを創業。2010年10月に東京 上野にて、ゲストハウスtoco.を開業。東北大震災に伴い、NPO法人マリンサポート青年東北支援隊隊長として3ヶ月間、宮城県石巻市で活動。2012年9月には東京 蔵前にて、Nui. | HOSTEL & BAR LOUNGEがオープン。

東野 唯史さん フリーランス 空間デザイナー
1984年生まれ。名古屋市立大学芸術工学部にて建築デザイン・インテリアを専攻。卒業後は株式会社博展に入社。空間デザイナーとして勤務した後、2010年1月より約1年間の世界一周の旅に出る。帰国後の2011年1月からフリーランスとして活動。東北大震災に伴い、青年東北支援隊として現地ボランティアとして活動。瓦礫撤去のほか、デザイン・写真担当。現在は築約50年の自宅兼事務所をメヂカラハウスと称し、賃貸物件を現状復帰レベルの範囲内でリノベーションしながら生活。不定期にイベントやパーティーを開催予定。2012年9月に東京 蔵前にてオープンした Nui. | HOSTEL & BAR LOUNGEのデザインを担当。

宮嶌 智子さん Back Packers Japan Auditor

1985年 山形県米沢市生まれ。
就職活動をきっかけに所属した学生団体のイベントで本間さんと出会う。大学卒業後はイベント会社に就職。週末の休みも削りながら営業に命を燃やすが、本間さんに「一緒に起業しよう」と誘われ僅か一年で退社。2010年2月の株式会社 Backpackers’ Japan創業に参画し、その後たいやき屋の運営にも携わる。2010年4月より、世界中のゲストハウスを見てくるという大義を背負って100日間の世界一周を敢行。21カ国を回る。帰国後はゲストハウスtoco.の女将として運営の中心に。現在は 2012年9月に東京 蔵前にてオープンした Nui. | HOSTEL & BAR LOUNGEでは、総合マネージャーを担当する。

※左から、本間さん、坂尾さん、筆者、東野さん

インタビュー場所:Nui. | HOSTEL & BAR LOUNGE 

 

nui.

 

 

インタビューの目的

今回、共にインタビューを行った坂尾 篤史さんの友人で、「大企業からの内定を蹴り20代で起業」「自分の経験・強みを生かした事業で成功」「近々、”大きなチャレンジ”(インタビュー時にはNui. | HOSTEL & BAR LOUNGE準備中)を踏み出す」といった、まさに脱藩者がいると耳にし、興味を持った事がインタビューのきっかけ。その溢れるバイタリティーの源、共に働く仲間達、”脱藩者” 故の「悩み」や「ズルさ」について知るため、お話を伺いに開業準備まっただ中の Nui. | HOSTEL & BAR LOUNGE  へ。

 

Q:そもそも脱藩した経緯は?

本間さん(以下H):留学先のオーストラリアから帰国して半年、新卒で就職するか、自分のやりたい事をやるか迷っていた。高知の桂浜へ一人旅に出た際に、母親から「やることは全て応援する」 というメールをもらい、後者を選択することを決意した。初めは経験を生かして、旅行業 (ツアー企画からバス手配まで自分で行う)を興そうとしたが、今に至る。

 

東野さん(以下A):新卒でイベント会社に3年勤めた。展示会等のディレクションや運営 を行っていた。競合コンペの勝率が通常4割程度のところ、7割~8割だったこともあり、とても忙しく働いていたが、「自分を必要としている人が居たら、その人の元へ行く」というスタンスが自分の中にあって、それを実現させるために会社を辞め、世界一周 の旅に出た後、フリーランスとして働いている。以前の会社からの仕事も受けるし、自分 がオモシロいと感じた事、必要とされる案件には全て参加する様にしている。

 

Q:自分の武器(ナリワイ)は何ですか?

H:自分にしか出来ない事はないと思っている。ただ、自分がやりたいと感じた事はまずやる、そして悩むというスタンスは常に意識して実行している。自分の中でYES/NOが はっきりしているから、決断がブレることはない。今やっている事がまさにその現れだと 思っている。

 

A:人より容量は良いと思う。そして、何か頼まれた仕事で自分のスキルが足らないと感じたら、とにかくその領域の本を買ってインプットしている。 ex.nuiに関わる事を決めた際、照明に関して知識が無かったため、照明に関する本を積上 る程購入し、読み込んでいた。~本間さん談~

 

Q.「やりたいことを決めたらやる」という考えに則り、行動した際に、リスクヘッジは行ってますか。

H:もちろん真剣にやっている。やらない人は居ないと思う。事前にやるのではなくて、行動を起こしながら常に考えている。今回、nui.を作るにあたって、銀行に事業計画書を 作ってプレゼンして回った際にも、あらゆる問答を想定して6パターンくらいの事業計画 書を作成して、プレゼンに臨んだ。

 

Q.東野さんから見て、本間さんが行っているリスクヘッジの工夫はどういう点だと思いますか。

A:投資家へのプレゼン時、もちろんダメだしを沢山貰う。その際に、必ずダメと言われた 事に対して、言った方に「あなたならどうする?」と質問をして、次のプレゼンのために 計画を練り直していた。その結果6パターンの事業計画書が出来ていた。話し方や表情も その場の雰囲気・人に会わせて変えていた。

 

Q.事業を大きくするにあたり、自分の意志が届かなくなるという不安はなかったのでしょうか。

H:もちろんあった。届かなくなることが一番怖い。ただ、そういう事がなくなることはないと考えているので、そこに対して臆病になってはいない。

 

Q.ヴィジョンをスタッフに伝えていく(共有していく)にあたり、心がけている事はありますか?

H:シンプルに三点。嘘を言わない。ごまかさない。自分を大きくみせない。

A:ヒロ(注:本間さん)の努力はいつも感じている。人との接し方について、正解はないから、 自分の言った事を推敲して、善し悪しを判断して、作り替える(リノベーション)事を継続して行っていると思う。

 

~ここで宮嶌さんが到着~

 

 Q:そもそも脱藩した経緯は?

宮嶌さん(以下M):新卒で1年間イベント制作会社で仕事をしていたが、ヒロに誘われて ヒロが興した会社に入った。イベント会社にはやりたい事があって入ったが、会社に居てやりたい事がで居るのか、(先行き)に不安を感じる事もあり、退職を決意した。会社を辞 めて、資金調達のためにたい焼き屋を始めた際はとても嫌だった。たい焼き屋をやるため に会社を辞めたんじゃない!と。(笑)

 

Q.本間さんと仕事をする上でこころがけている事はありますか?

M:お互い自分の領域を干渉される事が嫌いだから、在る程度分業することを心がけている。私はスタッフのオペレーションや作業の準備、人の採用等を行う。自分の仕事にやりがいを見いだせていると思う。ヒロは資金調達やイベント告知の領域。「○○をやるから いくら必要」といった話もたまにするが、細かい話はしない。お互いを信頼している。自分たちが経営している会社なので、不満は必然的に感じないし、感じる理由がない。不満 などありえない。自分たちが頑張らなかったら終わりだと思っています。

 

~印象に残ったエピソード~

ゲストルームのベッド横に取り付ける電飾(60個あまり)をどう取り付けるか本間さん・宮嶌さんがブレスト。宮嶌さんは数・取り付け方を教えて、どう取り付けるか2パ ターンを提案する。本間さんはそれを聴いて、決断を下す。その間30秒程度。完全な分 業。会社という組織に置き換えると、社長と各事業部署(部長)の関係性を二人が体現し ている様に感じた。

 

※インタビュー中、スタッフに指示を出す本間さん(中央)

 

Q.今までインタビューした脱藩者は、働くことの目標と人生の目標がシンクロしていると 感じているのですが、仕事を通じての目標はどう捉えていますか?

H:ない。わからないし、今がゴールなのかもしれない。何かを始めると、外的要因(人や環境)により、新たなやりたいこと・やるべきことが見えてくる事がある。そうやって 自分の目標を都度設定して進んで来たので、おそらく今後もやる前に見えている事はない と思う。

 

Q自分のメンターはいますか。

H:いない。30代で起業して会社をいくつも持っているという様な、「現代の社長」を体現している様な人にはまるで興味がない。今後メンターが出来るとしたら、自分より歳がかなり離れたおじいちゃん世代の方なんだろうと漠然と思っている。

(さらに…)