仲間

Posted on 2014-01-14
人生はやりたい事をやるにはあまりにも短く、我慢して生きるにはあまりにも長い ビジョナリーワーク・デザイナー鵜川洋明さん

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鵜川洋明さんプロフィール

 

株式会社ファンケルで店舗運営や経営企画、事業構築に従事する傍ら、約3年前から個人でワークショップを開催し、夢と重なる仕事=Visionary Work(ビジョナリーワーク)を提唱。昨年(2013年)夏に17年間勤務した同社を卒業し、MeRAQ COMPANY(ミラクカンパニー)を設立。キャリアデザインやブランディング、メイク関連事業を手掛ける。

JCDA認定 CDA(キャリア・デベロップメント・アドバイザー)取得

青山学院大学・ワークショップデザイナー育成プログラム修了

ブログ:http://visionarywork.sblo.jp/

自主出版:『楽・学・喜ライフワークのススメ』

 

【鵜川さんにインタビューした理由】

 鵜川さんが前職在籍中から開催していたワークショップに参加していました。どんな事をされているかは、何となく分かっていましたが、ご自身の「ビジョナリーワーク」をどのように築いたのか、会社勤めしながらどう活動を展開していたか、独立に至った経緯、等々を知りたいと思い、お話を聞かせてもらいました。(インタビュアー:中村将之)

 

 

―――独立されて数か月経ちますが、ミラクカンパニーではどんな事業を展開していますか?

 

主なサービスは、キャリアデザイン、ブランディング、メイク×フォトの3つです。メイク×フォトに関しては、妻が主体で、自分はほとんどやってないですが。具体的には、個人向けのキャリアデザインのワークショップ、ブランディングや事業構築のサポートとか、企業の研修をオーダーメイドで請け負うこともあります。まだ準備中ですが、出版や場づくりなども考えています。

 

―――「ビジョナリーワーク」の考え方はどのようなものですか?

 

一言で言えば“夢”と重なる仕事をしよう!ということです。自分が本当にやりたい事で誰かを喜ばす、人生面白い!と自信を持って言える。そんな人になってほしいという想いでやっています。

 

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―――「ビジョナリーワーク」は、具体的にはどんな手法で考えるのでしょうか?

 

 自分のやりたい事を形づくる要素は7つあります。自分らしさや提供できる価値を生かして、誰のどんなの望みを叶えますか、生まれる未来は何ですか、というのを考えます。このフレームを通して何度も繰り返し考えると明確になっていきます。

 

―――フレームはどうやって構築されましたか?

 

 キャリアカウンセリング等のベースになっている理論や、マーケティングや事業構築などの手法を掛け合わせたオリジナルです。なので、このフレーム自体はキャリアデザインだけではなく、様々な企画や事業プランづくりなどにも応用できます。

 

 

  

―――ご自身は、夢は最初から明確でしたか?

 

いえ、自分も“夢”というものに対して明確なイメージができなかった時期がありました。なんか夢っていうと漠然としているというか、リアリティがないようなイメージを持っていました。今はむしろ、“夢”っていい言葉だなって思っていますが(笑)。

 

―――前職時代は、どんな状態でしたか?

 

最初は楽しく仕事をしていましたが、ポジションが上がってくると、だんだん周囲の期待度が上がって、いつしか「これで求められていることに応えているかな」みたいな、まるで答え合わせでもしているような感覚になってしまい、あれ?本当にやりたくてやってるのかな、とモヤモヤが募ってきたんです。

 

―――変化の大きなきっかけは何だったんですか?

 

読んでいた本に「あなたは今やりたい事をやってますか?やってないとしたら何をやってますか?」という問いがあって、もう衝撃でした。俺何やってんだろう……。このままじゃまずい。自分は本当に何がやりたいんだろう、と考え始めました。

 

自分が楽しく、スイスイ苦も無くできる事を思い起こしたら、何かを体系的に整理して、ビジョンにしたり、物語にしたりとか、あと、絵にしたりとか、人にそれを伝えたりするのは、すごくワクワクするし楽しい。例えば、部下とフィードバック面談をしていて、良いところとか、担当している仕事の価値を伝えると、表情がすごく変わったり良くなったりする瞬間が大好きだったんです。

 

本当にやりたい事を見つける瞬間を作ってあげられるって、すごく楽しい。キャリアや仕事の意味づけを手伝ってあげるのは、結構面白い。そうこう考えてるうちに、キャリアカウンセリングって概念があることを知り、キャリアのことをやってみよう、となりました。事業構築とかブランディングも大好きだったので、サポートをできたら良いとも思いました。

 

―――どのように進めていったんですか?

 

会社員をやりながら、資格の勉強をしたり、仲間と一緒にワークショップ開いたりしました。結構やりたい事を公言するようにしてましたね。別に会社辞めたいって言い方じゃなくて。今こういうことをしていて、今後こういうことをやりたい、という話をすると、いろんな面白い人を紹介してもらえました。

 

言葉にして宣言するってほんと大事ですよ。引き寄せるっていうのは本当にある。本心でやりたい事を語ってるから、周りから見たら楽しそうなんでしょうね。こういう状態の人だったら、紹介していいと思われたんでしょう。当然自分の興味関心で引き合う人だから、価値観が合う。そういう仲間とワークショップを始めて、やればやるほどのめり込んでいきました。

 

―――独立するという想いは以前からありましたか?

 

それは、ありましたね。ただ、ちょっと不思議なことに、ずっとあったんだけど、本当にやりたいんだこれを!というのが見つかり色んな活動を始めたら、独立するしないはどうでもよくなってきたんです。独立するために逆算して何かを考えることは一切なくなりましたね。

 

独立するしないは手段で、やりたい事に対してどれだけ興味を持ってもらえる形にできるのか、どれだけ広められるのか、深められるのか、そのために最適な手段が独立であればそうすればいいし、そうでなければ別の方法を取ればいいという考え方になったんですね。

 

―――会社での仕事でやりたいことと重なる部分はありましたか?

 

(最後の職場となった)ファンケルスクエアでは館長をしていました。会社の広告塔の役割もあり、ブランディングも求められるところで、ともすると会社の期待に応えることが全てのような感覚になってしまうような部分もありました。けど自分は、誰かが持ってきたビジョンを、単純になぞるのは嫌でした。

 

一人一人のメンバーが自分事として楽しいと思え、価値や意義を感じられることがすごく大事。メンバーひとりひとりが自分たちの仕事の価値は何?誰に何を届けられるのっていうことを考えるミニ研修みたいなものも何度もやりました。そうすると、みんなから出てくる。

 

一方で、ファンケルスクエア全体はどうか、という話し合いも主要メンバーを集めてやりました。そして、それぞれで出てきた内容を統合する。一つのビルとしてミッション、ビジョンは整理されつつ、各メンバーは自分たちが考えたことに基づいて動く。モチベーションの高さはすごくある。そういうシチュエーションを作ることだけを考えてやっていました。それはすごく楽しかったですね。

 

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―――なるほど、ビジョンやミッションを整理してまとめ上げていくのは、やりたい事と重なっていますね。ただ、そこで転機が訪れたんですよね?

 

はい。会社の教育を一手に引き受けるセクションを作ることが決まり、そこの要職に就く内示をもらいました。人材育成や、ミッションの構築が役割で、やりたい事でした。しかし一方で、自分が本当にやりたいと思う教育や人材育成と、今この時点で会社から求められているものは少し違うんじゃないか?って思ったんですね。そう思うと、自分が本当にやりたい分野なだけに、すごくジレンマを抱えるだろうって。

 

それに、新しいセクションだから、引き受けたら多分365日24時間やるくらいの状態じゃないと無理だろう。そうすると会社とは別に仲間と活動していたプロジェクトなどもできなくなるのは間違いない。そんなことを考え合わせると、もうここは離れるタイミングなんだなぁ、と思っちゃったんですね。

 

―――すぐに決断できましたか?

 

決断は一週間も経ってないですね。ズルズルしてたらいろんな邪念が入って考えがぶれる。そうこうしているうちに、新しい組織はどんどん固まっていって、いつの間にか抜け出せなくなる。だから早い段階で決断しようと。

 

―――会社を辞めることに葛藤はありましたか?

 

んー、あったとすると、言い方悪いんですが、恩を仇で返す気かみたいな見られ方をするじゃないか、と。それは自意識過剰で勘違いなんですけどね。経営体制を大きくシフトしていく過程での異動で、しかも、ここはお前が向いてると会長から直々に言われたオファーでした。

 

もともと、期待に応えたい、認められたいという意識が強かっただけに、それにノーと言うことは、その逆のことをしているという葛藤がありましたね。ですが、辞める時にいつでも何かあったら応援するぞと言われ、円満に退職させてもらいました。それはありがたいですよ。

 

―――経済的な不安はありませんでしたか?

 

極端なことを言えば、人間いつ死ぬか変わらない。明日のことは分からない状況のなかで、今本当に情熱を傾けてやってる事が本当に楽しいという状態で生きられないことが嫌でした。裏を返せば、そういう状態で生きられれば、金なんかいくらでも入ってくる(笑)。長い目で見たら、そっちの方が自分の価値を高めるし、給与とかお金の面でも結果的に会社に残るよりも大きくなるだろうと。

 

会社とは別に個人的に小さくワークショップをやっていた経験も自分にとっては大きかったかもしれません。サラリーマンやってると、会社から給料もらうこと以外でお金を稼ぐことは難しいんじゃないかって錯覚に陥っちゃいます。自分が面白いと思い仲間とワークショップ作ったら、お金払って来てくれる人がいた。お金入るじゃん。お金を回す方法なんていくらでもあるんだ。じゃあ、これをいっぱいやれば良い。積み上げたらそれなりに生活していくだけはあるなと。

 

―――先ほども話に出ましたが、仲間というのは大きかったんでしょうね。

 

それはめちゃめちゃ大きかったですね。こういう仲間がいなかったら踏み出してなかったかもしれないですね。自分一人だったら価値を生み出せるほどのクオリティのものを作れるかという不安感はありました。他の事ができる人、違うスキルを持った人がいてくれたのは、大きかったです。

 

自分だけじゃなくて周りもチャレンジしてアクションしてる人が多かったから、そこに自分はどんな価値を提供して助けてあげられるか、と相互にやっていく。お互いが伸びていくし、結果的にそれぞれのビジネスが伸びていきます。つながりの中で仕事が生まれたりもしてます。

 

 そういう仲間たちと、世の中の既存の大きな流れに対して、本当に大事なものを大事にして、楽しく生きていく。それでいて価値も生んで、経済的にも精神的にも潤っている姿を見せることが一番インパクトのあることだと思ってやってます。

 

―――今日はお時間いただき、ありがとうございました。

 

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【インタビューの感想】

 率直な感想として、すごく良い話が聞けたなぁ、という感じです。何度かお会いして知っている事もあったのですが、その奥にある想いやストーリーをじっくり聞くことができ、自分のなかでの深まり度合いが大きかった気がします。一度きりの人生、本当に大切なものは何か、周囲に惑わされることなく追求することが何よりだと思いました。(インタビュアー:中村将之)

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Posted on 2013-04-03
「不確かな未来を愉しむ」自由大学 学長 和泉里佳さん

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和泉里佳さんプロフィール 

自由大学学長/学びのキュレーター

京都大学卒業後、大手機械メーカーにて営業職に携わる。退職後、自由大学の前身であるスクーリングパッドでの出会いをきっかけに、上海でインテリアデザイン事務所の立ち上げにかかわる。2009年の自由大学の立ち上げからサポートに加わり、2011年には学長に就任。時代が求める様々なテーマで100種類以上の講義を展開。これまでに、延べ4000人が参加する学びのプラットフォームの原動力となり活躍中。

 

和泉さんにインタビューした理由

自分らしく生きるってどういうことなんだろう。就職に苦しむ人が大勢いる日本で、そんな生き方ができるのだろうか。そう思って参加した脱藩学で気づいたのは、「自分らしさの源は好奇心だ」ということでした。与えられたものではなく、自分で選択肢を創り出す人生を歩んでいるお手本はいないかと探していたところ、運良く紹介していただいたのが和泉さんでした。自由大学の先頭に立ってご活躍されている和泉さんの、これまでの生き方や脱藩のきっかけ、個性派ぞろいの自由大学をマネジメントする秘訣を探るため、インタビューに行ってきました。

 

<仕事・自分への“違和感”>

 Q:まず、会社員を辞めて中国に行った経緯をお聞かせください。 

大学を卒業して、特に何も考えずに就職したんですよね。コンピューターの事業部に配属されて営業職を担当し、仕事にはそれなりにやりがいもあったのですが、目指したい大人が見つからない、なりたい自分が見えない状況に入社2年目くらいから悩みはじめて。

 


悩みを同期の友人に相談したりして、「大企業=幸せ」が必ずしも絶対ではないと確信しました。この頃から、とにかく手に職をつけようと思って、もともと興味のあった建築士と、インテリアコーディネーターの資格勉強をするようになりました。勉強の甲斐あって資格は取れたんですけど、資格があるから何なんだ、意味があるのかと、結局は自問自答の繰り返しでした。

 



そんな時に自由大学の母体ともなっているスクーリングパッドに出会ったんです。今も自由大学の運営でお世話になっている黒崎さんともここで知り合いました。ゲストの有名アパレルのデザイナーとか、カッコいいレストラン作ってる人と話しているうちに、「私ももっと自由に生きられるかも!」って思って。そこで丁度、上海への誘いを受けたので、即決しました。

 

 <人との違いの“オイシサ”を感じた中国での体験>

Q:上海に行ってみて感じたこと、気づいたことをお聞かせください。 

まず現地の人と自分の基本的な考え方とか、いわゆる文化の違いに驚きました。壁の仕上げひとつとっても、上っ面だけで済ましちゃったり。見えないところもきちっとやるのが当たり前の日本では感じないことでした。

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でも、違うからこそ生まれるアイデアもあって。振り返ってみると、中国人と日本人を同じように考えるんじゃなくて、違いがあるからこそ面白かったんだと思います。この時に気づいた、人と違うことは面白いネタの宝庫なんだっていう価値観は今も大切にしています。

 

<“打算は敵である”個性派揃いの自由大学をマネジメントする秘訣>

Q:自由大学の学長として、講義を作るうえで大切にしていることや、ものごとを判断するときの軸があれば教えてください。

 

自由大学は学びたいことを講義として形にできる空間です。だから、やりたいことがある人はどんどんやる。みんなにイイコトは気づいた人がどんどんやる。そうやって仕事を創っていくことを実践しています。

 

運営で一番に心がけているのは、自由でいること。年齢とか立場に関係なく人と付き合っていく、対等に接していくことです。年上だからへりくだるとかなく、きちんとリスペクトしながらも、お互いにしっかりと役割を果たす。打算ではなく好奇心をに基づいて交流していく。クリエイティブな学びを作るには、これが大切だと思います。

 


恋は落ちるものって言うじゃないですか。面白いものはむりくり作るんじゃなくて、それこそ、瞬間的に湧いてくるもんだと思うのです。ふとした出会いを大切にしたり、お金とか関係なく目の前のことに集中した結果生まれるものだと思っています。

 

Q:和泉さんが一緒に働きたいと思う人ってどんな人ですか。

なんでも面白がれちゃう人。あとは、自分の意見がはっきりしている人ですね。何が良くて悪いか、自分のなかの美意識がはっきりしている人だと、本気で意見を出し合えるし、面白いアイデアが生まれやすいです。

 

なので、基本的な価値観は同じだけど、バックグラウンドとか、スキル、性格、経験が違う人が教授になることが多いです。プロジェクトや仕事で面白いものを生み出すには、色々な経験を持った人が集まった方が絶対に楽しいものが生まれるし、価値観を共有できていれば、講義で何を目指すのか、ゴールを設定しやすいですしね。

 

 Q:自由大学の講義は、教授、キュレーターの2人と10~20名程度の生徒が集まって進められていますが、少人数講義には理由があるのですか。

自由大学の講義の大きな特徴の一つが、来る人によって講義内容が変わること。クラスのメンバーやその日の雰囲気によってガラッと変わる。ライブみたいなものですね。だからこそ面白いし。ここに集まる意味がある。一人ひとりと深くコミュニケーションしていくにはこれくらいがちょうどいい人数なんですよね。

 


あと、ちょっと面白くてけっこう熱心な人たちと一緒に学びたいから、そこは苦労しながらもコツコツやってます。広告とか宣伝のようなことはずっとやってきていないんです。だから最初の頃は人が集まらなくて開講できない講義もちょくちょくありました。今でも時々ありますけどね。

こうやって小さくやっているけれど、友達に聞いたり、偶然見つけたりしてここに辿り着いて来てくれる人って、感性が鋭くて行動力もあるでしょ。だからクラスも面白くなるんです。大規模広告を見ていきなり大勢の人が押し寄せるっていうよりも、漢方のようにじんわり効く。そっちの方がいいでしょ。

 

 Q:仕事と家庭のバランスがなにかと話題になる世の中ですが、その辺の線引きはどのようにしてますか。

基本的に欲張りなので、やりたいことは全部やりたい。だから、家庭と仕事を明確に分けようとはしていなくて、粘土のように、うまく混ぜられないかを実践中です。家で主人といるときも仕事の話をよくします。主人は大企業でメジャー、私はインディーズバンドみたいな感じなんですけど、仕事の課題や方向性の話が意外に合って、盛り上がるんですよ。

 

<不確かな未来を楽しむ> 

Q:最後に自由大学、そしてご自身の今後の展望についてお聞かせください。


見えている部分では、まず自由大学でメディアを立ち上げたいと考えています。コンテンツとして※フリユニラジオ、Webマガジンで教授、キュレーター、生徒を紹介したら面白いかなと。それ以外は…どうなるかわからないですね。

※WEBマガジン「フリユニラジオ」は2013年2月10日にスタートしました。


でも、方向性だけ決めて、あとは変化する状況に合わせる価値観は変わりません。「人がああ言ったから」ではなくて、自分の体験とか直感を大切にしていきたい。
もちろん、最低限のことは無視はできないですけど「この人となら何か出来るかも!」ていう成り行きに任せて仕事していきたいです。

なので、今後は、たとえ仕事場が移動しても、それはそれでウェルカム。もし上海に行ったら上海で仕事を創っていきたいです。現地で自由大学みたいなこともできるかもしれないし。自分の直感と感性を信じて、先が見えない状況を楽しんで行きたいと思ってます。

 

■ インタビューを終えて

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インタビューしたメンバー。
左から磯野、遠藤、和泉さん、柳場、鈴木、跡部

■遠藤

今回のインタビューでいちばん心に刺さったのは、グレーゾーンを怖がらない勇気の大切さ。打算や世間体に縛られない生き方・働き方は、自分のやりたいことと仕事の間で悩んでいる人たちのお手本だと思いました。仕事でも生活でも先が見えにくい世の中では、和泉さんのように不確かな未来を怖がらず、走りながら考える柔軟さ、力強さが必要だと感じました。

 

Posted on 2012-11-07
なりたい自分になるための「脱藩」Back Packers Japan本間貴裕さん・宮嶌智子さん/空間デザイナー東野唯史さん

今回インタビューした脱藩同志の皆様

本間 貴裕さん Back Packers Japan CEO

1985年生まれ。福島県会津若松市出身。
福島大学3年時の春、35リットルバックパックと共にオーストラリアを一周。大道芸人(バスカー)として働きながら旅を続けた。帰国後に内定していたコンサルタント会社を内定式前日に辞退、自身での起業を決意。その後、個人事業でたいやき屋を開業して資金を作り、2010年2月に 株式会社 Backpackers’ Japanを創業。2010年10月に東京 上野にて、ゲストハウスtoco.を開業。東北大震災に伴い、NPO法人マリンサポート青年東北支援隊隊長として3ヶ月間、宮城県石巻市で活動。2012年9月には東京 蔵前にて、Nui. | HOSTEL & BAR LOUNGEがオープン。

東野 唯史さん フリーランス 空間デザイナー
1984年生まれ。名古屋市立大学芸術工学部にて建築デザイン・インテリアを専攻。卒業後は株式会社博展に入社。空間デザイナーとして勤務した後、2010年1月より約1年間の世界一周の旅に出る。帰国後の2011年1月からフリーランスとして活動。東北大震災に伴い、青年東北支援隊として現地ボランティアとして活動。瓦礫撤去のほか、デザイン・写真担当。現在は築約50年の自宅兼事務所をメヂカラハウスと称し、賃貸物件を現状復帰レベルの範囲内でリノベーションしながら生活。不定期にイベントやパーティーを開催予定。2012年9月に東京 蔵前にてオープンした Nui. | HOSTEL & BAR LOUNGEのデザインを担当。

宮嶌 智子さん Back Packers Japan Auditor

1985年 山形県米沢市生まれ。
就職活動をきっかけに所属した学生団体のイベントで本間さんと出会う。大学卒業後はイベント会社に就職。週末の休みも削りながら営業に命を燃やすが、本間さんに「一緒に起業しよう」と誘われ僅か一年で退社。2010年2月の株式会社 Backpackers’ Japan創業に参画し、その後たいやき屋の運営にも携わる。2010年4月より、世界中のゲストハウスを見てくるという大義を背負って100日間の世界一周を敢行。21カ国を回る。帰国後はゲストハウスtoco.の女将として運営の中心に。現在は 2012年9月に東京 蔵前にてオープンした Nui. | HOSTEL & BAR LOUNGEでは、総合マネージャーを担当する。

※左から、本間さん、坂尾さん、筆者、東野さん

インタビュー場所:Nui. | HOSTEL & BAR LOUNGE 

 

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インタビューの目的

今回、共にインタビューを行った坂尾 篤史さんの友人で、「大企業からの内定を蹴り20代で起業」「自分の経験・強みを生かした事業で成功」「近々、”大きなチャレンジ”(インタビュー時にはNui. | HOSTEL & BAR LOUNGE準備中)を踏み出す」といった、まさに脱藩者がいると耳にし、興味を持った事がインタビューのきっかけ。その溢れるバイタリティーの源、共に働く仲間達、”脱藩者” 故の「悩み」や「ズルさ」について知るため、お話を伺いに開業準備まっただ中の Nui. | HOSTEL & BAR LOUNGE  へ。

 

Q:そもそも脱藩した経緯は?

本間さん(以下H):留学先のオーストラリアから帰国して半年、新卒で就職するか、自分のやりたい事をやるか迷っていた。高知の桂浜へ一人旅に出た際に、母親から「やることは全て応援する」 というメールをもらい、後者を選択することを決意した。初めは経験を生かして、旅行業 (ツアー企画からバス手配まで自分で行う)を興そうとしたが、今に至る。

 

東野さん(以下A):新卒でイベント会社に3年勤めた。展示会等のディレクションや運営 を行っていた。競合コンペの勝率が通常4割程度のところ、7割~8割だったこともあり、とても忙しく働いていたが、「自分を必要としている人が居たら、その人の元へ行く」というスタンスが自分の中にあって、それを実現させるために会社を辞め、世界一周 の旅に出た後、フリーランスとして働いている。以前の会社からの仕事も受けるし、自分 がオモシロいと感じた事、必要とされる案件には全て参加する様にしている。

 

Q:自分の武器(ナリワイ)は何ですか?

H:自分にしか出来ない事はないと思っている。ただ、自分がやりたいと感じた事はまずやる、そして悩むというスタンスは常に意識して実行している。自分の中でYES/NOが はっきりしているから、決断がブレることはない。今やっている事がまさにその現れだと 思っている。

 

A:人より容量は良いと思う。そして、何か頼まれた仕事で自分のスキルが足らないと感じたら、とにかくその領域の本を買ってインプットしている。 ex.nuiに関わる事を決めた際、照明に関して知識が無かったため、照明に関する本を積上 る程購入し、読み込んでいた。~本間さん談~

 

Q.「やりたいことを決めたらやる」という考えに則り、行動した際に、リスクヘッジは行ってますか。

H:もちろん真剣にやっている。やらない人は居ないと思う。事前にやるのではなくて、行動を起こしながら常に考えている。今回、nui.を作るにあたって、銀行に事業計画書を 作ってプレゼンして回った際にも、あらゆる問答を想定して6パターンくらいの事業計画 書を作成して、プレゼンに臨んだ。

 

Q.東野さんから見て、本間さんが行っているリスクヘッジの工夫はどういう点だと思いますか。

A:投資家へのプレゼン時、もちろんダメだしを沢山貰う。その際に、必ずダメと言われた 事に対して、言った方に「あなたならどうする?」と質問をして、次のプレゼンのために 計画を練り直していた。その結果6パターンの事業計画書が出来ていた。話し方や表情も その場の雰囲気・人に会わせて変えていた。

 

Q.事業を大きくするにあたり、自分の意志が届かなくなるという不安はなかったのでしょうか。

H:もちろんあった。届かなくなることが一番怖い。ただ、そういう事がなくなることはないと考えているので、そこに対して臆病になってはいない。

 

Q.ヴィジョンをスタッフに伝えていく(共有していく)にあたり、心がけている事はありますか?

H:シンプルに三点。嘘を言わない。ごまかさない。自分を大きくみせない。

A:ヒロ(注:本間さん)の努力はいつも感じている。人との接し方について、正解はないから、 自分の言った事を推敲して、善し悪しを判断して、作り替える(リノベーション)事を継続して行っていると思う。

 

~ここで宮嶌さんが到着~

 

 Q:そもそも脱藩した経緯は?

宮嶌さん(以下M):新卒で1年間イベント制作会社で仕事をしていたが、ヒロに誘われて ヒロが興した会社に入った。イベント会社にはやりたい事があって入ったが、会社に居てやりたい事がで居るのか、(先行き)に不安を感じる事もあり、退職を決意した。会社を辞 めて、資金調達のためにたい焼き屋を始めた際はとても嫌だった。たい焼き屋をやるため に会社を辞めたんじゃない!と。(笑)

 

Q.本間さんと仕事をする上でこころがけている事はありますか?

M:お互い自分の領域を干渉される事が嫌いだから、在る程度分業することを心がけている。私はスタッフのオペレーションや作業の準備、人の採用等を行う。自分の仕事にやりがいを見いだせていると思う。ヒロは資金調達やイベント告知の領域。「○○をやるから いくら必要」といった話もたまにするが、細かい話はしない。お互いを信頼している。自分たちが経営している会社なので、不満は必然的に感じないし、感じる理由がない。不満 などありえない。自分たちが頑張らなかったら終わりだと思っています。

 

~印象に残ったエピソード~

ゲストルームのベッド横に取り付ける電飾(60個あまり)をどう取り付けるか本間さん・宮嶌さんがブレスト。宮嶌さんは数・取り付け方を教えて、どう取り付けるか2パ ターンを提案する。本間さんはそれを聴いて、決断を下す。その間30秒程度。完全な分 業。会社という組織に置き換えると、社長と各事業部署(部長)の関係性を二人が体現し ている様に感じた。

 

※インタビュー中、スタッフに指示を出す本間さん(中央)

 

Q.今までインタビューした脱藩者は、働くことの目標と人生の目標がシンクロしていると 感じているのですが、仕事を通じての目標はどう捉えていますか?

H:ない。わからないし、今がゴールなのかもしれない。何かを始めると、外的要因(人や環境)により、新たなやりたいこと・やるべきことが見えてくる事がある。そうやって 自分の目標を都度設定して進んで来たので、おそらく今後もやる前に見えている事はない と思う。

 

Q自分のメンターはいますか。

H:いない。30代で起業して会社をいくつも持っているという様な、「現代の社長」を体現している様な人にはまるで興味がない。今後メンターが出来るとしたら、自分より歳がかなり離れたおじいちゃん世代の方なんだろうと漠然と思っている。

(さらに…)