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Posted on 2014-01-14
人生はやりたい事をやるにはあまりにも短く、我慢して生きるにはあまりにも長い ビジョナリーワーク・デザイナー鵜川洋明さん

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鵜川洋明さんプロフィール

 

株式会社ファンケルで店舗運営や経営企画、事業構築に従事する傍ら、約3年前から個人でワークショップを開催し、夢と重なる仕事=Visionary Work(ビジョナリーワーク)を提唱。昨年(2013年)夏に17年間勤務した同社を卒業し、MeRAQ COMPANY(ミラクカンパニー)を設立。キャリアデザインやブランディング、メイク関連事業を手掛ける。

JCDA認定 CDA(キャリア・デベロップメント・アドバイザー)取得

青山学院大学・ワークショップデザイナー育成プログラム修了

ブログ:http://visionarywork.sblo.jp/

自主出版:『楽・学・喜ライフワークのススメ』

 

【鵜川さんにインタビューした理由】

 鵜川さんが前職在籍中から開催していたワークショップに参加していました。どんな事をされているかは、何となく分かっていましたが、ご自身の「ビジョナリーワーク」をどのように築いたのか、会社勤めしながらどう活動を展開していたか、独立に至った経緯、等々を知りたいと思い、お話を聞かせてもらいました。(インタビュアー:中村将之)

 

 

―――独立されて数か月経ちますが、ミラクカンパニーではどんな事業を展開していますか?

 

主なサービスは、キャリアデザイン、ブランディング、メイク×フォトの3つです。メイク×フォトに関しては、妻が主体で、自分はほとんどやってないですが。具体的には、個人向けのキャリアデザインのワークショップ、ブランディングや事業構築のサポートとか、企業の研修をオーダーメイドで請け負うこともあります。まだ準備中ですが、出版や場づくりなども考えています。

 

―――「ビジョナリーワーク」の考え方はどのようなものですか?

 

一言で言えば“夢”と重なる仕事をしよう!ということです。自分が本当にやりたい事で誰かを喜ばす、人生面白い!と自信を持って言える。そんな人になってほしいという想いでやっています。

 

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―――「ビジョナリーワーク」は、具体的にはどんな手法で考えるのでしょうか?

 

 自分のやりたい事を形づくる要素は7つあります。自分らしさや提供できる価値を生かして、誰のどんなの望みを叶えますか、生まれる未来は何ですか、というのを考えます。このフレームを通して何度も繰り返し考えると明確になっていきます。

 

―――フレームはどうやって構築されましたか?

 

 キャリアカウンセリング等のベースになっている理論や、マーケティングや事業構築などの手法を掛け合わせたオリジナルです。なので、このフレーム自体はキャリアデザインだけではなく、様々な企画や事業プランづくりなどにも応用できます。

 

 

  

―――ご自身は、夢は最初から明確でしたか?

 

いえ、自分も“夢”というものに対して明確なイメージができなかった時期がありました。なんか夢っていうと漠然としているというか、リアリティがないようなイメージを持っていました。今はむしろ、“夢”っていい言葉だなって思っていますが(笑)。

 

―――前職時代は、どんな状態でしたか?

 

最初は楽しく仕事をしていましたが、ポジションが上がってくると、だんだん周囲の期待度が上がって、いつしか「これで求められていることに応えているかな」みたいな、まるで答え合わせでもしているような感覚になってしまい、あれ?本当にやりたくてやってるのかな、とモヤモヤが募ってきたんです。

 

―――変化の大きなきっかけは何だったんですか?

 

読んでいた本に「あなたは今やりたい事をやってますか?やってないとしたら何をやってますか?」という問いがあって、もう衝撃でした。俺何やってんだろう……。このままじゃまずい。自分は本当に何がやりたいんだろう、と考え始めました。

 

自分が楽しく、スイスイ苦も無くできる事を思い起こしたら、何かを体系的に整理して、ビジョンにしたり、物語にしたりとか、あと、絵にしたりとか、人にそれを伝えたりするのは、すごくワクワクするし楽しい。例えば、部下とフィードバック面談をしていて、良いところとか、担当している仕事の価値を伝えると、表情がすごく変わったり良くなったりする瞬間が大好きだったんです。

 

本当にやりたい事を見つける瞬間を作ってあげられるって、すごく楽しい。キャリアや仕事の意味づけを手伝ってあげるのは、結構面白い。そうこう考えてるうちに、キャリアカウンセリングって概念があることを知り、キャリアのことをやってみよう、となりました。事業構築とかブランディングも大好きだったので、サポートをできたら良いとも思いました。

 

―――どのように進めていったんですか?

 

会社員をやりながら、資格の勉強をしたり、仲間と一緒にワークショップ開いたりしました。結構やりたい事を公言するようにしてましたね。別に会社辞めたいって言い方じゃなくて。今こういうことをしていて、今後こういうことをやりたい、という話をすると、いろんな面白い人を紹介してもらえました。

 

言葉にして宣言するってほんと大事ですよ。引き寄せるっていうのは本当にある。本心でやりたい事を語ってるから、周りから見たら楽しそうなんでしょうね。こういう状態の人だったら、紹介していいと思われたんでしょう。当然自分の興味関心で引き合う人だから、価値観が合う。そういう仲間とワークショップを始めて、やればやるほどのめり込んでいきました。

 

―――独立するという想いは以前からありましたか?

 

それは、ありましたね。ただ、ちょっと不思議なことに、ずっとあったんだけど、本当にやりたいんだこれを!というのが見つかり色んな活動を始めたら、独立するしないはどうでもよくなってきたんです。独立するために逆算して何かを考えることは一切なくなりましたね。

 

独立するしないは手段で、やりたい事に対してどれだけ興味を持ってもらえる形にできるのか、どれだけ広められるのか、深められるのか、そのために最適な手段が独立であればそうすればいいし、そうでなければ別の方法を取ればいいという考え方になったんですね。

 

―――会社での仕事でやりたいことと重なる部分はありましたか?

 

(最後の職場となった)ファンケルスクエアでは館長をしていました。会社の広告塔の役割もあり、ブランディングも求められるところで、ともすると会社の期待に応えることが全てのような感覚になってしまうような部分もありました。けど自分は、誰かが持ってきたビジョンを、単純になぞるのは嫌でした。

 

一人一人のメンバーが自分事として楽しいと思え、価値や意義を感じられることがすごく大事。メンバーひとりひとりが自分たちの仕事の価値は何?誰に何を届けられるのっていうことを考えるミニ研修みたいなものも何度もやりました。そうすると、みんなから出てくる。

 

一方で、ファンケルスクエア全体はどうか、という話し合いも主要メンバーを集めてやりました。そして、それぞれで出てきた内容を統合する。一つのビルとしてミッション、ビジョンは整理されつつ、各メンバーは自分たちが考えたことに基づいて動く。モチベーションの高さはすごくある。そういうシチュエーションを作ることだけを考えてやっていました。それはすごく楽しかったですね。

 

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―――なるほど、ビジョンやミッションを整理してまとめ上げていくのは、やりたい事と重なっていますね。ただ、そこで転機が訪れたんですよね?

 

はい。会社の教育を一手に引き受けるセクションを作ることが決まり、そこの要職に就く内示をもらいました。人材育成や、ミッションの構築が役割で、やりたい事でした。しかし一方で、自分が本当にやりたいと思う教育や人材育成と、今この時点で会社から求められているものは少し違うんじゃないか?って思ったんですね。そう思うと、自分が本当にやりたい分野なだけに、すごくジレンマを抱えるだろうって。

 

それに、新しいセクションだから、引き受けたら多分365日24時間やるくらいの状態じゃないと無理だろう。そうすると会社とは別に仲間と活動していたプロジェクトなどもできなくなるのは間違いない。そんなことを考え合わせると、もうここは離れるタイミングなんだなぁ、と思っちゃったんですね。

 

―――すぐに決断できましたか?

 

決断は一週間も経ってないですね。ズルズルしてたらいろんな邪念が入って考えがぶれる。そうこうしているうちに、新しい組織はどんどん固まっていって、いつの間にか抜け出せなくなる。だから早い段階で決断しようと。

 

―――会社を辞めることに葛藤はありましたか?

 

んー、あったとすると、言い方悪いんですが、恩を仇で返す気かみたいな見られ方をするじゃないか、と。それは自意識過剰で勘違いなんですけどね。経営体制を大きくシフトしていく過程での異動で、しかも、ここはお前が向いてると会長から直々に言われたオファーでした。

 

もともと、期待に応えたい、認められたいという意識が強かっただけに、それにノーと言うことは、その逆のことをしているという葛藤がありましたね。ですが、辞める時にいつでも何かあったら応援するぞと言われ、円満に退職させてもらいました。それはありがたいですよ。

 

―――経済的な不安はありませんでしたか?

 

極端なことを言えば、人間いつ死ぬか変わらない。明日のことは分からない状況のなかで、今本当に情熱を傾けてやってる事が本当に楽しいという状態で生きられないことが嫌でした。裏を返せば、そういう状態で生きられれば、金なんかいくらでも入ってくる(笑)。長い目で見たら、そっちの方が自分の価値を高めるし、給与とかお金の面でも結果的に会社に残るよりも大きくなるだろうと。

 

会社とは別に個人的に小さくワークショップをやっていた経験も自分にとっては大きかったかもしれません。サラリーマンやってると、会社から給料もらうこと以外でお金を稼ぐことは難しいんじゃないかって錯覚に陥っちゃいます。自分が面白いと思い仲間とワークショップ作ったら、お金払って来てくれる人がいた。お金入るじゃん。お金を回す方法なんていくらでもあるんだ。じゃあ、これをいっぱいやれば良い。積み上げたらそれなりに生活していくだけはあるなと。

 

―――先ほども話に出ましたが、仲間というのは大きかったんでしょうね。

 

それはめちゃめちゃ大きかったですね。こういう仲間がいなかったら踏み出してなかったかもしれないですね。自分一人だったら価値を生み出せるほどのクオリティのものを作れるかという不安感はありました。他の事ができる人、違うスキルを持った人がいてくれたのは、大きかったです。

 

自分だけじゃなくて周りもチャレンジしてアクションしてる人が多かったから、そこに自分はどんな価値を提供して助けてあげられるか、と相互にやっていく。お互いが伸びていくし、結果的にそれぞれのビジネスが伸びていきます。つながりの中で仕事が生まれたりもしてます。

 

 そういう仲間たちと、世の中の既存の大きな流れに対して、本当に大事なものを大事にして、楽しく生きていく。それでいて価値も生んで、経済的にも精神的にも潤っている姿を見せることが一番インパクトのあることだと思ってやってます。

 

―――今日はお時間いただき、ありがとうございました。

 

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【インタビューの感想】

 率直な感想として、すごく良い話が聞けたなぁ、という感じです。何度かお会いして知っている事もあったのですが、その奥にある想いやストーリーをじっくり聞くことができ、自分のなかでの深まり度合いが大きかった気がします。一度きりの人生、本当に大切なものは何か、周囲に惑わされることなく追求することが何よりだと思いました。(インタビュアー:中村将之)

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Posted on 2013-12-02
「バリキャリ」から「ゆるふわ」ライフスタイルへ パーソナルコーチ山口由起子さん

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山口由起子さんプロフィール

東京大学卒業後、ベンチャー企業でM&A、子会社役員などを担当。その後、ベンチャーキャピタルに転職し、投資や事業支援を行う。2008年に独立後、海外起業家からの依頼をきっかけに、コーチングの個人セッションを開始。

【ブログ】http://ameblo.jp/yamaguchiyu/entry-10552188827.html

【ホームページ】 http://lalamaru.com

【著書】「心を削らない働き方」(2013/12/19発売予定)

 

■山口由起子さんにインタビューした理由

“深夜一時まで&週末もお仕事するのは普通!の「がむしゃら星人」時代を経て、ひとりでの自営業という自分に合った生き方を選び、心からやりたい&合っているお仕事を選んだこと、余計な思い込みや肩の力を抜いたことで、自分らしく「ゆるふわ」でいられるようになりました。”

→「がむしゃら星人」から「ゆるふわ」へどんなふうに変わっていったのか、脱藩のヒントにつながるのでは…?

“コーチングの資格はとらず、自分の強みを活かしてセッションをしています。大学時代から勉強している哲学・文学・心理学など人間心理に関する知識、会社員時代のM&Aやベンチャー投資での経験や、その時お会いした数百人の起業家・経営者から学んだこと、IT企業の採用担当として400人以上を面接した経験をセッションに活かしています。”

→資格がなければ独立できないというのは、もしかして固定概念なのかも…?

 

山口さんにとっての脱藩

Q)私の中で「脱藩」とは価値観が大きく変わる経験や節目と理解していますが、山口さんにとってのそういった経験や節目を教えて下さい。 

3回ありますが、1回目は大学時代、金融を勉強する学生団体の代表になった時です。「上に付いていく人」から「リーダー」になると、見える景色が違いました。「受け手」から「発信者」へと発信の軸が変わり、自分で起業したい気持ちが初めて芽生えたんです。

2回目は2004年当時、まだ未成熟だったIT業界に就職したことです。それまでは何か決まったものを習得して、よく考えてから正確にやると思っていたのが、失敗することも踏まえた上で、トライ&エラーしながら進めていくんだなと。それまで嫌だったエラーや失敗も普通のことだと実感できました。

3回目はフリーランスになった時ですね。「会社」というフィルターが外れ、自分が「個」として対峙することで、世の中の見え方がクリアになりました。最初は色んなことをやったんですけど、やっぱり「強み」を生かして仕事をするのは、すごく大事だと思いましたね。

 

Q)トライ&エラーの中で失敗しても次に進んでいける人達は、失敗をどう捉えていたのですか?

気にしないか、辛くても受け止められるか、どっちかですね。最初の会社の同期は、初め営業が出来なくて、挨拶の練習をするために週末本屋でバイトをしていたんですけど、今ではその会社で一番売上のいい部署の責任者をやっています。

 

Q)知り合いからの勧めがコーチングを始めるきっかけとのことですが、来たものを受け入れると道は開けていくのでしょうか?

来たものが全部開けるわけではないと思うんです。話が来た時に「あ、これだ!これをやっていこう」という感覚とか、広げるために努力もしてきたので。

 

Q)財務の仕事からコーチングにシフトされたと思いますが、ずっとコーチングをされてきた人と比べて、経験による差を感じませんでしたか?

コーチングをされている人にたくさん会ったわけではないですけど、経験があるから良し悪しが決まるものでもないのかなと、私は思いましたね。コーチングって歌や小説に近い気がしていて、別に歌とか小説も経験があるから良いってものでもないですよね。

 

Q)コーチングを始める際に「資格を取らなければ」と思いませんでしたか?

手法が限定されていることに疑問はあったんです。要は来た人が心地よい状態になれば良いわけで。のちに師匠になってくれた人も、人と接する時に「こうしなければならない」みたいなのがない方で、相談すると「資格は取らなくてもいいんじゃない?」と。

 

Q)なぜ資格無しでも出来ていると思われますか?

 子どもの頃からやってきたことの積み重ねで出来ていると思います。ひとの言動をみて、

その裏にあるこころの構造を探るとか、深くひとの話を聴く、といったことです。相手が自然とこころを開いて話し始めるといった、もともと備えていた雰囲気とか感性なども、コーチング向きだったのだろうと思います。

 

Q)コーチングはどのようにされていますか?

まずはじっくり聴いてこころをほぐします。悩み状態になっている時は、本来のそのひとの状態と、現状にズレがあります。なので、そのズレのありかを探って特定し、どうすれば元に戻るか伝えます。

 

「がむしゃら」に頑張ってしまうのは、「不安」だったから

 

Q)会社員時代の自分にアドバイスするとしたら、どう声を掛けますか?

 

「そんなに頑張らなくていいんじゃない?」とは思うんですけど、なぜ頑張っていたかというと、不安だったんですよね。向いてないから不安で、上手くいかないことが分かるから、すごいアクセル踏むじゃないですか。止まるとまたアクセル踏むのが大変だから、休めなくなる。頑張ってた時って成果を出しても達成感はあるのに、喜びは無かったんですよね。

その渦中にいると周りの人もそういう人ばかりだし、同じ価値観で形成されるから、どっぷり浸かっていると気付くのは難しい。

ただ当時は出来ていないところばかり見ていたので、「もっと出来ていることに目を向けたらいいんじゃない?」とか。でも「それ得意じゃないから、そろそろ変わった方がいいよ」とか(笑)。

 

Q)山口さんの場合は「好き」が「得意」だったから、コーチングが仕事になったのですか?

 

「好き」で「得意」、かつ「ニーズ」があったからですね。

 

自分の資産は、自分の中にある

Q)脱藩を志しているメンバーに向けて、メッセージがあればお願いします。

自分の資産って自分の中にあるものなので、外の情報に振り回されるのではなくて、「自分がどうしていきたいのか」「何が出来るのか」、自分と対話して、自分の内面を見ることも大切にされると、道は見えてくるのではと思います。

 

Q)進みたい方向性を見い出しても、それでやっていく踏ん切りをつけられないものですが?

そう思っている前提として、これ一本で100%の時間を注いでいかなければという思いがあると思うんですけど、いきなり人生かけるって大変じゃないですか?土曜の午前中だけ使ってやってみるとか、10個のうち1つでも進めてみるって考えると、一気に楽に進めるんじゃないでしょうか。

 

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【インタビューを終えて感じたこと】

高橋(写真右から二人目)

実際お会いしてみて、雰囲気や声のトーンなど、ブログ以上に「ゆるふわ」でインタビュアーの二人がすっかり癒され、沢山気づかせて頂いた時間でした。

きっと、インタビューという形式にさえとらわれることなく、私たちの質問の奥底にあった悩みやもやもやに、共感しながら、答えて下さっていたのだと改めて感じます。

脱藩した方の、力むことなく自然体であることを、肌で感じさせて頂きました。貴重なお時間をありがとうございました。

 

熊谷(写真左)

「こうしなければならないと決まっているのはおかしい」。柔らかい口調でそう語られる度に、余計な肩の力が抜けていき、心が自由になる気がしました。それだけ勝手な思い込みが、自分を苦しめていたのだと思います。自分の今の「がむしゃら」な働き方が消耗する努力なのか、建設的な努力なのか、山口さんとお話していると、答えを導き出すのもそう難しいことではない気がして勇気が出ます。どんな質問にも丁寧に答えて頂き、ありがとうございました。

 

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Posted on 2013-09-04
「暮らしと物語から知恵を育む」オルタナティブ・ラーニング・ファシリテーター小日向素子さん

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小日向素子さんプロフィール

Kokoro-uta Co.,Ltd. 代表

大学で編集・報道理論、大学院で日本の通信産業政策・経営理念を学ぶ。NTT、デルなどで、マーケティング、ブランド戦略に携わる。某外資系企業にてマーケティング部長として最年少で経営に参画。

2009年に独立。現在は西麻布の「ココロウタブックラウンジ」にて型にとらわれない、読書会や勉強会の場を提供する他、まちおこしコンサルティング、企業向け研修の企画と運営、ブランディング、販促・広告宣伝の企画提案実施、各種企画提案書作成、フェアトレーディング等を行う。

中でも特記すべきは、新潟の粟島での新しい「学び場作り」。町全体のコンサルティングを行い、次世代のリーダーを作るためのトレーニングを提供している。韓国での農場とブックラウンジを融合させたプロジェクトにも参画しているため、現在は東京、粟島、韓国を飛び回る生活。

■小日向素子さんにインタビューした理由

インタビュアーM:「何をしているのかわからない人」というお話を聞き、固定の仕事が無い人こそ、突き抜けて脱藩しているのではないかと思い興味を持ちました。「脱藩」するにはどうしたらいいのか? きっかけは何だったのか? どうやって「点」であった経験を「線」にすることができたのか? そのあたりもお聞きしたいです。

インタビュアーH:私は、結果が評価につながりやすい外資系で働くことに疲れ・・・、年功序列社会で働くことにもやりがいを見出せない日々です。女性としては先駆者ともいえるキャリアを形成しつつ、全く違う生き方を選び、それが生活として成り立っている小日向さんのお話を聞いてみることが、自分の中で何かが生まれるチャンスとなるのではないかと思い、伺いました。

 

■ 新卒で入った会社で将来の自分の姿が予想できてしまった

–       小日向さんはとてもユニークなバックグラウンドをお持ちだと伺っています。まずはキャリアのスタートから教えていただけますか?

実は私、大学卒業は、やりたいことが何も無かったんです。IT時代だったから、IT業界かな、と。NTTに入社しましたが、最初配属された部署の仕事も好きにはなれなくて。新人なのに部署とは全然違う企画を立てて、社内で企画大賞をもらいました。でもNTTでは「女性だと、39歳で課長が精一杯だなぁ」というのが見えてしまった。そこで定時に帰る理由の一つとして、社会人大学院に通い通い始めました。MBAの概念も浸透していなかった時代に、「通信政策を勉強します」と言って。初めは言い訳です。でもそこで、経営理念に興味を持ちました。あと、大きかったのは、仕事をしていく中で大事なのは「編集能力」だと20代の早い時期から思ったこと。この情報社会において、膨大な情報な中から、自分に必要なものを選び、結びつけて、新しい価値を創造する力です。

–       でもその後、すぐに、「本」にも、「経営」にも行かなかったんですよね。

はい、その後しばらくは、自分が何を好きで、好きで生計を立てようとするとどうなるのか、確かめる時間でした。だからパン屋や家具店で働いてみたりしたんです。でも、私には生活水準を下げる、というのができませんでした(笑)。東京生まれ東京育ちで、普通のサラリーマン家庭で、安定した生活をしてきましたから。

–       それで外資系と…。確かに外資系では女性でも正当に評価されますし、経営を学ぶのには適した環境と言えますよね。その後はまさに輝かしいキャリア、といった感じです。

でも、最初はあえてアシスタントとして入れてもらったんですよ。君みたいに経験がある人がなんで、とは言われましたけど。仕事はある程度こなせてしまうので、余った時間で英語の勉強の時間をもらったというか、苦手だった英語をまずは克服しました。

− そこからは経験も無いのに、マーケティングに関する企画書を作り、社長に直談判をして採用してもらうなど、自分でポジションを作り上げて行きましたね。

人にも恵まれました。外資系で2社目のデル在職中はまさに「デルの革命」と言われた時代で、素晴らしい学歴を持ったアカデミカリースマートな人ベンチャーを自分で立ち上げる力のあるストリートスマートな人たちから実地でMBAを学ばせてもらいました。

その次のベリサインでは、それまで私は自分が行う業務が仕事の大事な要素の9割を占めると思っていたのですが、尊敬していた方から、「仕事の上で大事なのは人との関係など人的側面が7割、業務は3割なんだよ。」と教えられました。また、社長からは人を惹きつける能力も学びました。まだベンチャー企業とも言える段階でしたけど、「私は今、インテルのCEOをオファーされると言われても受けるつもりはない。This is my last job.」という社員に向けてのスピーチには感動しましたね。

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■人と同じことをやっていてはチャンスは掴めない。一方で、自分を殺してまでがんばる必要はない

–       まさに外資系でキャリアを切り開いて来た、という印象を受け、並大抵の努力ではなかったかと思います。自分を動かしていたもの、自分の中で軸としていたことはありますか?

常に「ルールは無視」する「常識から外れる」、でないと負ける、と思っていました(笑)。人と同じことをやっていては、チャンスは掴めません。ルールを無視すると、周りに敵が多くなるかと躊躇する人も多いでしょうが、それは、もう周りにあの人は「宇宙人」だと思わせてしまうしかないです。あの人だから仕方がない、と。

でも、認めさせる分、それはそれは、ものすごい努力はして来ましたよ。

と同時に、「自分を殺してまでがんばる必要はない。」と割り切ってもいましたね。

それから、自分に向いているかは、向いていないかは、やってみないと分かりません。私は人をマネジメントすることは苦手だし、避けていましたが、部下に恵まれたのか、意外と向いていたみたいです。

 

■ ROIを計算することを辞め、好きにすべてを費やす

–       とても成功されて来たと思うのですが、そのままキャリアを追い続けるという選択肢はなかったのでしょうか。

 

次の会社は転職で辞めるのではなく、辞めさせられるまでは辞めない、と思っていたのですが、その時が来て・・・。自分は自分のしたいように当然のように努力して来たつもりだったのですが、周りに「バリキャリ」と言われるのにはすごい違和感をもっていたんです。はー?それって何よ?みたいな(笑)。そこでしばらく考えようと思って、人との繋がりだけで世界中をフラフラしていたら、大好きな現代芸術家のジェームス・タレルのライフワーク「ローデン・クレーター」を見に行き、本人にも会えるという素晴らしい機会に恵まれてしまったのです。彼は彼のワークを、利益のためでもなく、誰かのためでもなく、ただ自分が好きだからやっているんですよ!

YouTube Preview Image

https://www.artsy.net/artist/james-turrell

そこで、私も、ROI(投下資本利益率)じゃなく、好きにすべてを費やしてしまえ、と(笑)。時間もお金も。

その間出会った人たちと、常に何かが生まれる時期でもありました。

 

–       そこで、「学び場」の創出へ?

実は祖父が和泉八雲の弟子の英文学者で、私もずっと本が好きでした。でも突き詰めていくと、本というより、「学び」に興味があるなと思ったのです。今までのキャリア形成でもそうですけれど。

自分が良いということを続けて、「学び・仕事・暮らし」のサイクルを上手く回したいな、と思いました。人生の最後に、もうこれ以上はないな、と思うくらい。

大きな組織に入れば一生守られる時代は終わって、「無敵の個人の時代」言われる時代にもなっていましたし。

「経営はアートとサイエンスのバランスが大事」と言われますが、自分の役割と地位は自分で規定しよう、と思ったんです。そこで、一番興味があった「学び」の「場」と作ろうと思って、全く初めてだったのに、DIYでブックラウンジを開設しました。

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ココロウタブックラウンジ
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月曜の朝からナビゲーターが心も目覚める本を紹介「知のカフェイン&BOOKS」

自分が目指す豊かな生き方をするには、どれくらいお金が必要か把握して、給料は支出とプラマイゼロになればよい

–       今日初めてお会いして、お話だけ聞いていると、突然の路線変更に思えてしまいます。ご自身の中では、どこかの時点で、いつかはこう進みたい、みたいなコアはあったのでしょうか。また、まだどういう方向に進みたいか見えていない人へのアドバイスはありますか?

元々どこかにはあったんだと思います。自分のやってきたことにどういう意味があるのか、私はいつも考えて来ました。そして今、自分の経験すべてに関連性を見つけることができています。

そして結局人間って、関心を持っているものしか、頭に入って来ないんですよ。本だって、ペラペラめくっていると、何か特定の言葉が目につくでしょう?それって、自分が今それに興味があるということなんです。そういうアンテナに、気づくことも大事かもしれませんね。

–       小日向さんならではの人間力による部分も大きい気もしてします。圧倒されるばかりで、私たちはまだまだ悩んでしまうのですが・・・。

自分がこの道でやって行きたいと決めるには、自分の刈り取りの時期を設定することも大事だと思います。自分をいくらで売りたいか、いつ売りたいのか。それから、フリーランスになるになる最低限の能力は、どんぶり勘定の能力ですね。自分の送りたい生活にはいくら必要なのか、それくらいは計算できてなくてはいけない。

それから、人にいっぱい会うこと。

「自律、自立」って、いかに人に頼れるかだと思うんですよ。人に頼られて、初めから嫌がる人はいないでしょ?

でも、もしかして頼った人は自分の前からいなくなってしまうかもしれない、自分から去ってしまうかもしれない。だから、複数頼れる人を持っておくことも必要よね。だけど、自分に必要な人は、次から次に現れるんです。

–       お話を聞けば聞くほどパワーと、覚悟みたいなものを感じます。小日向さんは、モチベーションをどう管理されているのでしょうか? 不安に感じることは無かったのでしょうか?

20代のころは、ぐるぐると考え込んでしまうたちだったので、思考はどこかで切るように努力していました。また、本を読むことをセラピーにしていましたね。

今は、自然の中にいることにすごく幸せを感じます。あと、人にとにかく会いに行くようにしています。粟島のプロジェクトもそうでしたけれど、人と会って、関係を築く、ここからまた新たな仕事が生まれるんです。さらに、ストレスがかかることがあるのであれば、それの解消方法を仕事にする方法を考えます(笑)。

会社で働いていたころは、プライベートと仕事は完全に分けていて、生きているという実感がありませんでした。でも今は「生きている」という感覚があります。 自分が目指す豊かな生き方をするには、どれくらいお金が必要かも把握していて、給料は支出とプラマイゼロになればよいという感じです。だから、不安が無いんですよ。

何より、自分が人生の最後まで続けて行きたい学びと仕事と、暮らしを一つにできていますから。

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人の暮らしに風土を感じる貴重な離島、粟島。都市で培われたノウハウも受け入れ、融合を目指します

 ・・・ところで、今日は、こんな内容で良かったのかしら?(笑)

–       はい。お忙しい中、長いお時間をいただきまして、ありがとうございました。色々と考えすぎて、今は上手く言葉になりませんが、自分たちの中で、すごく大事な時間となったことは確かです。

[インタビューを終えて感じたこと]

・インタビュアーM:モノゴトの連続性の中で、常にその時々に持っていた関心のアンテナに引っかかったモノに対して、全力でそれを取りに行くという姿勢が今の小日向さんを作っているように感じました。

その関心のアンテナの精度も多くの経験、人との出会いによって、磨かれていったのではないかと感じさせられる部分が話の端々にあり、小日向さんの変わったキャリアも一見何の脈絡も無いように見えますが、ものすごく自分のアンテナに忠実に、論理的に行動されているのが印象的でした。

また、小日向さんのように自分がやりたいことのために、何を犠牲にするものをちゃんと把握できると、リスクも負いやすくなる、元よりそもそもリスクではないと認識出来るのかもしれません。僕自身漠然と「不安だ…」と思っていたのですが、もっと何を犠牲にするのかをはっきりさせないといけないと感じました。

最終的な方向として、やりたいこと = 人生になっている、仕事とプライベートを分けていない小日向さんはすごく幸せそうでした。

・インタビュアーH:伺ったお話を自分の中でどう消化するか、考えるところはありましたが、小日向さんが大切にし、ラウンジの壁にもプリントしてある岡倉天心の「茶の本」に登場する言葉、「おのれの地歩を失うことなく、他人に場所を譲ること」

「この言葉は、色々な捉え方があるわよね。」と小日向さんがおっしゃった時に、小日向さんのお話も、聞き手私たちそれぞれが、それぞれの方法で、今後のそれぞれの人生に、活かしていっていいのよ。と言われた気がしました。

やはり、人に会うって大事です。それも無理な時は、本を読んで、他人の考えにふれるだけでもいいでしょう。脱藩に大事なこと。それはまず人の考えと出会い、自分がどう感じるか、を見つめ、気づいていくこと、な気がします。

 

Posted on 2013-07-25
自分の好奇心を我慢しない。“複業”で「The Future Times」編集者 鈴木絵美里さん

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鈴木絵美里さんプロフィール

出版社に勤務しながら、ボランティアで「The Future Times」の立ち上げに関わり、現在も編集を担当中

・「世の中に何かコミットしたい」という思いで広告会社に新卒で就職

・雑誌作りに関わりたいという思いが強くなり出版社に転職、WEBメディアの部署へ

・雑誌の特別号として、以前から熱望していたフェスの企画を担当したことで出会ったアジアンカンフージェネレーション後藤さんが震災後にツイートした、「新聞を作りたい」のひとことに反応したことがきっかけで「The Future Times」(※)の立ち上げに協力、現在も無報酬で継続中

・大学を卒業してからずっと抱いていた、『社会の役に立ちたい』という思いが「The Future Times」で実現された

※ The Future Times
震災後に発刊した、アジアンカンフージェネレーション後藤さんが編集長を務める「未来について考えよう」をテーマにした新聞
http://www.thefuturetimes.jp/

TheFutureTimes

■鈴木絵美里さんにインタビューした理由

インタビュワーは、脱藩学を受講するにあたり、まず先に現職の会社を辞める事を前提としていましたが、講師の跡部さんのアドバイスや、同期メンバーの考えを聞いているうちに、次に目指す事の準備期間の必要性を痛感するようになりました。

準備期間は現職の会社員と、次に目指す事の二足の草鞋で活動して行きたいと思っているので、本業で会社員をされながら、それ以外でも活躍されている方にお話しをお伺いしたいと思い、自由大学「アメーバワークスタイル」にゲストとしてお越し頂いた事がある鈴木さんに、その先行者としてインタビューさせて頂く事となりました。

 

Q.本業と副業の定義について、どのようにお考えなのでしょうか?
(そもそも、本業と副業といった定義を、意識されていらっしゃるのでしょうか?)

「The Future Times」は、“副業”だと考えていません。対価はお金では無く、逆にお金では買えない貴重な体験をさせて貰っていて、かつ本業とは別ジャンルでもないのでプロボノ的位置づけです。

Q.本業は、満足感を持って望めているのでしょうか?

紙媒体をメインとしてきた出版という業界のなかでは、紙媒体以外で挑戦したいことがあってもなかなか社内で理解を得にくい部分も、以前は確かにありました。しかし紙媒体も経験したうえでさらにいろいろなアメーバ的なフィールドでの経験も自分のなかに取り込めている今、部署間の連携が出来ていない事に対して繋ぎを作る役割であったり、電子媒体を含むWEBメディア全体の担当としてするべき事など、役割は明確に、そして更に幅広くなってきています。また、「企画毎に、作り手の“好き”が他のメディアよりもちょっと多く盛られている」と、よく言われるような会社ということもあり、会社自体に魅力を感じて下さっている方も多いことはとても嬉しいです。

Q.鈴木さんにとって、ご自身の「核」になっているものは存在しますか?

一つ目は「行動力」でしょうか。興味を持った人・もの・ことには素直に会いに行くようにしています。何かアイデアを考えるだけでなく、実行までやりきることが核となっていると思います。

二つ目は「マッチング力」。人が気になる性格で、人間観察が好き。「この人とこの人が繋がったら面白そう!」と感じたときには、お互いを引き合わせて、何かを企画するようにしています。また、「チーママ力」と呼んでいるのですが、強い意志やビジョンを持った人をみると誰かに紹介したり、自分がサポートして想いを実現したくなってしまう傾向があります。

三つ目は、「興味を持つものの幅広さ」というと、カッコよすぎて引くんですけど(笑)、つまりは、ミーハーで、いろいろなことに対してのリストを多めに持っていることだと思います。

 

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【インタビューを終えて感じたこと】
鈴木さんはご自身について、「自分の“好き”がはみ出している部分でこそ、声がかかるようになるのでは」とおっしゃっていました。
その「はみ出した部分」が、鈴木さんの原動力であり、更には、他の人には無い付加価値として「脱藩」している部分なのではないか、と感じました。

ご自身のやりたいこと、できること、求められることをうまく組み合わせて、しなやかにご自身の役割を見つけてご活躍されている鈴木さんのお話しをお伺いして、これまでの自分には見えなかった、新たな選択肢があることを認知させて頂いた気がします。
現職の会社を辞めるといった当初の「脱藩」とは異なりますが、”これまでの自分から「脱藩」”する事が出来たように思います。

 

Posted on 2013-05-15
外資系投資銀行から一転、現代版トキワ荘の女将さん。みどり荘オーガナイザー小柴美保さん

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小柴美保さんプロフィール 

インデペンデントシンクタンクMirai Instituteを主宰。その一環として未来の働く場としてのワークスペース「みどり荘(http://midori.so/)」をオーガナイズ。イギリスや京都で学生時代を謳歌し、投資銀行で日本株の取り扱いに従事。2011年に退社し現職に至る。自由大学のキュレーターとしても活躍(「生き方デザイン学」、「器を継ぐ」、「クリエイティブ都市学」)。旅好き。一児の母。

小柴さんにインタビューした理由

外資系金融機関といういわゆるビジネスセクターのど真ん中から転身した経緯、挑戦的に見える生き方、働き方の背景にある考え方を、お聞きしたかったから。

 

Q:みどり荘のトップページでは「it  is more than just a co-working space」と謳ってますよね。 

コワーキングが特別なことではないということと、普通のビルのオフィスとも違う何かがあるぞ、という感じを出したかったのです。そういうところにフックする人に入ってきてほしいです。駅から決して近くはないですし、外観が謎(笑)だったり。あえて宣伝もしませんでした。それでも今はだいぶ埋まってきました。

 

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Q:それにしても謎な建物です。どうやって見つけたんですか?

偶然です。今メンバーになっているインテリアデザイナーの方が見つけてくれました。ある意味廃墟になっていましたが、1階に大家さんが住んでいたのです。また、リノベーションして住みたいという人が一足先にいらっしゃって、じゃあ一緒にやりましょう!って話になって、(現在)その人が住んでる部屋もありますよ。

 

Q:引き下がってもらうんじゃなくて巻き込むのが凄いですね。建物は相当ボロボロにだったそうですが。 

かなり長い間使ってなかったようで、2階の床に穴があって下が見えたり、電線も電気使ったら発火するんじゃないかっていう状況でした(笑)。使えるようになるまで3か月以上かかりましたね。

 

Q:みどり荘は、どういうところを目指していますか? 

メンバー同士やその周りの人たちのつながりから様々なコミュニケーションができて、新しい何かが生まれてたらいいなって。まだそこまでは行ってないんですけど、大きい企業に注目されたりもしはじめて、ちょっとした企画を一緒に始めています。

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Q:今の事業を始める前、新卒で入った外資系投資銀行で4年半働いてますね。考え方が大きく変わった転機はあったんですか?

金融業界に入る前から、なんで億を稼ぐプレーヤーがこの業界にはいるのか疑問に思っていて、この先行きつまってしまうのではないかなという仮説のようなものをもっていました。世界がどうなっているか、見たい知りたいという好奇心と、先ほどの疑問について自分で体験してみたい、あえて逆を見てみようというのがそもそもの働き始めです。

 

Q:そうだったんですね。どんな学生時代でしたか?

大学では法学部で、最初は弁護士を目指してました。高校の時、中坊公平さんに憧れて手紙を書いたりして。けど、実際に勉強をしだしたら、自分の好奇心を捨ててまで勉強しないと私は出来ない、と分かって挫折しました。好奇心には勝てなかった……。

 

大学を5年半で卒業していて、1年半はヨーロッパとかを放浪してました。中学から寮生活で、高校も日本の高校に2年通ってからイギリスの高校に留学しました。世界がどう動いているか見たかったんです。世界平和は皆が交われば実現できるんじゃないかと考えていました。イスラエルやパレスチナの学生にも合いましたが、彼らはいがみ合うように教育を受けている。

 

Q:その後は、日本に帰ってきて就職ですね。 

世界がどうなっているかを見たくて、交われて働ける場所がいいと思って、金融業界を選びました。当時「あいのり(テレビ番組)」が流行っていて知ったんですけど(笑)ブータンのグロスナショナルハピネス(GNH)という概念を知ったりして、この発想と金融をどうつなげるのかを考えていました。

 

Q:実際、入社してみてどうでした?

バブルでした(笑)。出張の飛行機はビジネスクラスで、ホテルもニューヨークのタイムズスクエアが見える部屋だったり。

日本企業の株を機関投資家に売る業務だったんですが、特にリーマンショックを経て、日本の企業にはワクワクしませんでした。自社の製品をどう使われたいのか、ビジョンというか思想が感じられなくて。財務諸表の数字だけでは分からないことがたくさんあるんだと、分かりました。

 

Q:やっぱり駄目だと感じた訳ですね。どう具体的な行動につながっていったのですか?

GNHとか言いながらも、何をして良いのか分からない状態でしたが、2009年にスクーリングパット(自由大学の前身)を偶然みつけて参加するようになりました。そこでの学びは面白かったですし、色んな人と出会えて刺激を受けました。

 

Q:生活の不安はありませんでしたか?

どうにかなると思ってました(笑)。貯えもあったので、その間にどうにかなるだろうと。黒崎さんも行動したあとにお金はついてくるもんだ、っていう話しをしていて。そうだよね、きっと、と。

みどり荘が軌道に乗るまでも前職の人の手伝いをしたりして、無収入ではありませんでした。お金だけじゃなくて、情報も入ってくるので良かったです。

 

Q:シンクタンクでは何をされていますか?

これから、というところです……。みどり荘は、働き方の実験というシンクタンクの事業でもあります。他には、器継ぎや漆とか、日本の伝統文化を海外にどうやって広めていくか、といった案件があります。

 

Q:未経験のことに取り組んでますよね。前職の経験を生かせる部分もあると思いますが、できるものですか?

もちろん経験が生きることはありますけど、未経験だからというのは意識したことはないです。今までこういう事をやってきたから、これしかできない、という訳じゃないと思います。

 

 

Q:子供のころからそんな感じでしたか?

両親には、やりたい事をやりなさい、と言われてました。中学が寮生活だったのも、憧れていたからで、中学受験もしてみたかったんです。中高一貫の学校で「世界にはばたけ」というのが校訓でした。寮生活は厳しくて、6時起床10時消灯、カップラーメンも禁止だったりして、アイロンでレトルト食品を温めて食べてました(笑)。そういう経験や、海外で色んな人と話した経験は、影響が大きいと思います。

 

Q:今もお子さん抱っこしながら凄いですよね。

仕事に連れて行ったりもします。今日も連れて来ても大丈夫かなって。それに夫が昨日から仕事で海外に行ってしばらく帰ってこないので。

 

Q:え!一人で育児しながら仕事ですか・・・。

家族にも時々手伝ってもらってます。基本的に一人ですけど、大丈夫ですよ(笑)。ただ、夜の打ち合わせが入っちゃったらどうしようかと心配ですが。

 

Q:そんな中、今日はインタビューを受けていただいて本当にありがとうございました。

 こちらこそ、ありがとうございました。

 

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【インタビューを終えて感じた事】

中村 将之

キャリアの大きな方向転換には、何か転機があったのかと思っていましたが、学生時代からの問題意識や価値観の表現の結果なのだと感じました。常識や固定概念に囚われず自分の中から湧いてくるものをストレートに出していけば良いんだと気づかされました。

 

 

 

Posted on 2013-04-03
「不確かな未来を愉しむ」自由大学 学長 和泉里佳さん

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和泉里佳さんプロフィール 

自由大学学長/学びのキュレーター

京都大学卒業後、大手機械メーカーにて営業職に携わる。退職後、自由大学の前身であるスクーリングパッドでの出会いをきっかけに、上海でインテリアデザイン事務所の立ち上げにかかわる。2009年の自由大学の立ち上げからサポートに加わり、2011年には学長に就任。時代が求める様々なテーマで100種類以上の講義を展開。これまでに、延べ4000人が参加する学びのプラットフォームの原動力となり活躍中。

 

和泉さんにインタビューした理由

自分らしく生きるってどういうことなんだろう。就職に苦しむ人が大勢いる日本で、そんな生き方ができるのだろうか。そう思って参加した脱藩学で気づいたのは、「自分らしさの源は好奇心だ」ということでした。与えられたものではなく、自分で選択肢を創り出す人生を歩んでいるお手本はいないかと探していたところ、運良く紹介していただいたのが和泉さんでした。自由大学の先頭に立ってご活躍されている和泉さんの、これまでの生き方や脱藩のきっかけ、個性派ぞろいの自由大学をマネジメントする秘訣を探るため、インタビューに行ってきました。

 

<仕事・自分への“違和感”>

 Q:まず、会社員を辞めて中国に行った経緯をお聞かせください。 

大学を卒業して、特に何も考えずに就職したんですよね。コンピューターの事業部に配属されて営業職を担当し、仕事にはそれなりにやりがいもあったのですが、目指したい大人が見つからない、なりたい自分が見えない状況に入社2年目くらいから悩みはじめて。

 


悩みを同期の友人に相談したりして、「大企業=幸せ」が必ずしも絶対ではないと確信しました。この頃から、とにかく手に職をつけようと思って、もともと興味のあった建築士と、インテリアコーディネーターの資格勉強をするようになりました。勉強の甲斐あって資格は取れたんですけど、資格があるから何なんだ、意味があるのかと、結局は自問自答の繰り返しでした。

 



そんな時に自由大学の母体ともなっているスクーリングパッドに出会ったんです。今も自由大学の運営でお世話になっている黒崎さんともここで知り合いました。ゲストの有名アパレルのデザイナーとか、カッコいいレストラン作ってる人と話しているうちに、「私ももっと自由に生きられるかも!」って思って。そこで丁度、上海への誘いを受けたので、即決しました。

 

 <人との違いの“オイシサ”を感じた中国での体験>

Q:上海に行ってみて感じたこと、気づいたことをお聞かせください。 

まず現地の人と自分の基本的な考え方とか、いわゆる文化の違いに驚きました。壁の仕上げひとつとっても、上っ面だけで済ましちゃったり。見えないところもきちっとやるのが当たり前の日本では感じないことでした。

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でも、違うからこそ生まれるアイデアもあって。振り返ってみると、中国人と日本人を同じように考えるんじゃなくて、違いがあるからこそ面白かったんだと思います。この時に気づいた、人と違うことは面白いネタの宝庫なんだっていう価値観は今も大切にしています。

 

<“打算は敵である”個性派揃いの自由大学をマネジメントする秘訣>

Q:自由大学の学長として、講義を作るうえで大切にしていることや、ものごとを判断するときの軸があれば教えてください。

 

自由大学は学びたいことを講義として形にできる空間です。だから、やりたいことがある人はどんどんやる。みんなにイイコトは気づいた人がどんどんやる。そうやって仕事を創っていくことを実践しています。

 

運営で一番に心がけているのは、自由でいること。年齢とか立場に関係なく人と付き合っていく、対等に接していくことです。年上だからへりくだるとかなく、きちんとリスペクトしながらも、お互いにしっかりと役割を果たす。打算ではなく好奇心をに基づいて交流していく。クリエイティブな学びを作るには、これが大切だと思います。

 


恋は落ちるものって言うじゃないですか。面白いものはむりくり作るんじゃなくて、それこそ、瞬間的に湧いてくるもんだと思うのです。ふとした出会いを大切にしたり、お金とか関係なく目の前のことに集中した結果生まれるものだと思っています。

 

Q:和泉さんが一緒に働きたいと思う人ってどんな人ですか。

なんでも面白がれちゃう人。あとは、自分の意見がはっきりしている人ですね。何が良くて悪いか、自分のなかの美意識がはっきりしている人だと、本気で意見を出し合えるし、面白いアイデアが生まれやすいです。

 

なので、基本的な価値観は同じだけど、バックグラウンドとか、スキル、性格、経験が違う人が教授になることが多いです。プロジェクトや仕事で面白いものを生み出すには、色々な経験を持った人が集まった方が絶対に楽しいものが生まれるし、価値観を共有できていれば、講義で何を目指すのか、ゴールを設定しやすいですしね。

 

 Q:自由大学の講義は、教授、キュレーターの2人と10~20名程度の生徒が集まって進められていますが、少人数講義には理由があるのですか。

自由大学の講義の大きな特徴の一つが、来る人によって講義内容が変わること。クラスのメンバーやその日の雰囲気によってガラッと変わる。ライブみたいなものですね。だからこそ面白いし。ここに集まる意味がある。一人ひとりと深くコミュニケーションしていくにはこれくらいがちょうどいい人数なんですよね。

 


あと、ちょっと面白くてけっこう熱心な人たちと一緒に学びたいから、そこは苦労しながらもコツコツやってます。広告とか宣伝のようなことはずっとやってきていないんです。だから最初の頃は人が集まらなくて開講できない講義もちょくちょくありました。今でも時々ありますけどね。

こうやって小さくやっているけれど、友達に聞いたり、偶然見つけたりしてここに辿り着いて来てくれる人って、感性が鋭くて行動力もあるでしょ。だからクラスも面白くなるんです。大規模広告を見ていきなり大勢の人が押し寄せるっていうよりも、漢方のようにじんわり効く。そっちの方がいいでしょ。

 

 Q:仕事と家庭のバランスがなにかと話題になる世の中ですが、その辺の線引きはどのようにしてますか。

基本的に欲張りなので、やりたいことは全部やりたい。だから、家庭と仕事を明確に分けようとはしていなくて、粘土のように、うまく混ぜられないかを実践中です。家で主人といるときも仕事の話をよくします。主人は大企業でメジャー、私はインディーズバンドみたいな感じなんですけど、仕事の課題や方向性の話が意外に合って、盛り上がるんですよ。

 

<不確かな未来を楽しむ> 

Q:最後に自由大学、そしてご自身の今後の展望についてお聞かせください。


見えている部分では、まず自由大学でメディアを立ち上げたいと考えています。コンテンツとして※フリユニラジオ、Webマガジンで教授、キュレーター、生徒を紹介したら面白いかなと。それ以外は…どうなるかわからないですね。

※WEBマガジン「フリユニラジオ」は2013年2月10日にスタートしました。


でも、方向性だけ決めて、あとは変化する状況に合わせる価値観は変わりません。「人がああ言ったから」ではなくて、自分の体験とか直感を大切にしていきたい。
もちろん、最低限のことは無視はできないですけど「この人となら何か出来るかも!」ていう成り行きに任せて仕事していきたいです。

なので、今後は、たとえ仕事場が移動しても、それはそれでウェルカム。もし上海に行ったら上海で仕事を創っていきたいです。現地で自由大学みたいなこともできるかもしれないし。自分の直感と感性を信じて、先が見えない状況を楽しんで行きたいと思ってます。

 

■ インタビューを終えて

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インタビューしたメンバー。
左から磯野、遠藤、和泉さん、柳場、鈴木、跡部

■遠藤

今回のインタビューでいちばん心に刺さったのは、グレーゾーンを怖がらない勇気の大切さ。打算や世間体に縛られない生き方・働き方は、自分のやりたいことと仕事の間で悩んでいる人たちのお手本だと思いました。仕事でも生活でも先が見えにくい世の中では、和泉さんのように不確かな未来を怖がらず、走りながら考える柔軟さ、力強さが必要だと感じました。

 

Posted on 2013-03-12
自分ができることで、地域社会に貢献していく loca-rise production代表 大内征さん

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大内征さんプロフィール 

loca-rise production 代表/プロデューサー/自由大学復興クラブ・プロジェクトリーダー

宮城県仙台市出身。これまでにセールスプランナー、マーケティングディレクター、プロデューサーなどの職を務め、多数のプロジェクトデザイン&マネジメントを手がける。現在、ローカライズ プロダクションを設立。「故郷・地方・地域社会・自然」をテーマにコンテンツ・プロデュースを展開中。自由大学では2011年より『復興クラブ』のプロジェクトリーダー、『東北復興学』では教授、『東京・日帰り登山ライフ』ではキュレーターとして活躍中。

 

大内さんにインタビューした理由

自由大学脱藩学 1期でインタビューさせていただいた大内さんが2012年12月に会社を辞め、 loca-rise productionを設立し、独立しました。独立されたこのタイミングで、今までの生き方や脱藩の目的・脱藩して思うこと等、改めてお話を伺いたいと思いインタビューの機会を頂きました。

 

<「量が質に変わる」を信じて、経験を積んだ20代>

 Q: 経歴について詳しくお聞かせください。 

遠回りな人生を送って来ましたね。2年浪人していたので20歳で東京に出て来ました。大学を出てからも「スーツを着てサラリーマンになる」イメージが持てずにいました。目的も無く、ただ右から左へ流されるように就職活動し、某大手企業から内定を頂きましたが、このまま社会に出る事に対して煮え切らない思いを抱えていました。「目的がないまま就職したら、流されたまま仕事をやり続けてしまう」と思い、内定は辞退し1年間フリーターに。今思えば、ちょっと甘かったですが(苦笑)

 

その1年は、学生時代にかじったイベント設営・ディレクションの仕事を行っていました。広告代理店と仕事で関わる日々。たとえば、某バンドのコンサートツアー設営のディレクション業務や、某大手企業のショールームこけら落としイベントなどを担当していました。収入は、月に当時の新卒月給の二~三倍稼げる時もあれば0円の時も。これではやはり不安だったので、第二新卒を対象にした採用活動を利用し、BtoBでセールスプロモーションを行う会社に入社しました。仕事を通じ、各企業や業界が持つ悩み・ビジョンを肌感覚で知る事が出来たことは大きな財産になりました。

 

 いずれ今の経験を礎に次のステップに向かいたいと考えていたため、経験を十分積んだ後に、より広く活躍の場と学びの機会があるマーケティングの専門会社に転職しました。

 

 Q: 「自己実現」が目的だった20代、意識されていたことがあれば教えてください。

とにかく経験を積む。いつしか「量が質に変わる」ことを信じていました。20代の半ばまでは、つべこべ言わずにとにかくガムシャラに働くことで経験を積むよう意識していました。もちろん、ただ数をこなすのではなく、創意工夫を重ねて質への転化を図ったりしながら。 

 

何事も後悔しないためには、「自分のものさし」を掴んでおく事が必要だと考えました。経験が少ないうちは自分のセンスを信じてなにもしなかったり、曖昧な理解で世の中を切り抜けようとしますが、経験や知識に恵まれるとやがて「知恵」になって世の中のことへの対応力が向上する。だから沢山の物事を知っておいたほうが良いと思います。ネガティブな解釈をする人は、「知識を持っていても役立てなければ意味が無い。単なる知識自慢だ」と揶揄する傾向がありますが、何も知らないのと、知識を身につけているのとでは、違いは明確だと思います。

 

30代までに、意識的に経験を積む習慣を持っていないと、後々困るのではないかと漠然と考えていました。第一線で活躍する人達の言葉を素直に聞き入れて信じ、まずは量をこなす。基本的にはあてがわれた仕事はNOと言わずやり遂げる。誰もやってない仕事があれば、手を挙げる。誰も気にしていない事を企画にしてみる・・・。ブルーオーシャンなことを探しては行動し、どんどん「モノ」にしていきました。

 

 目的が「自己実現」から「社会」や「周囲」に変わってきた30代>

Q: 「量が質に変わった」と実感した瞬間はいつですか。 

30歳を過ぎた頃でしょうか。そこで転職を経験、結婚もしました。「社会に出て5、6年過ぎた際にひと波くる」と言われますが、 人より遅れて社会に出ている自分にとっては、それが30歳頃。今思えば、このタイミングで自分の成長欲求に従い、ベンチャーのマーケティング会社へ転職したことが大きな転機のひとつです。プロデューサーとして働く中で、「自己実現」よりむしろ「周囲の人・組織・社会の役に立ちたい」といった目的に変わってきました。チームで上手く仕事をこなすために自分がどう黒子になるか?

 

プロデューサーという仕事は、仲間がいないと仕事が完遂しません。ひとりでは何もできませんから、チームで物事を組み立てていくことに意識を向ける必要があります。正しいロジックを振りかざしても、結局ひとりで仕事をしているわけではなく、周囲の仲間に気を配って動かなければ、チームとしてうまくいかないですから。その時に、たとえばサッカーをやっていた経験(ゴールを目指すために組織としてどうするか考えてやる)や子供の頃の遊び(ゲームで敵をどう倒すか)が仕事にも活きていると感じ始めたんです。

 

子供の頃に経験したことに、仕事で必要なことを置き換えて考えてみるという「物事を難しく考えないコツ」がわかってきました。自分の原風景や原体験の中にさまざまな解決策が眠っているということが、感覚的にわかってきたのです。そこに着目することが出来た時が、まさしく「量が質に変わってきた瞬間」だったように思います。

 

<自分だからできること「ローカルにサンライズを」>

Q:今やられている取り組みについてお話を聞かせてください。

loca-rise production loca-rise productionという屋号で活動しています。故郷/地方/地域社会/自然をテーマに、良い体験・学びの場づくり、交流を深める場をつくっていく。ご縁のあった方はもちろん、ゆくゆくは地域やコミュニティを通して社会貢献をしていきたいと考えています。また、自由大学では復興クラブ、東北復興学、東京・日帰り登山ライフを担当しており、これらの講義やプロジェクトを通して、受講生などご縁のある人の力になっていきたいと考えています。

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屋号には2つの思いを込めています。ひとつは「ローカルにサンライズを」ということ。地方だけでなく、ぼくが暮らしている東京にだって「ローカル」はある。そこで暮らす人々・訪れる人々が楽しくなる事を興していきたい、と考えています。そして、「ローカライズ」という言葉にはもう一つ意味があって、たとえばソフトウェア開発等でよく使うんですが、アメリカで生まれたソフトウェアを日本に適合させる。その地域に合う様に言語やインターフェースに置き換えて使い易くする、といった意味があります。それをもじって「地域や人にある課題を解りやすく噛み砕いて説明したり、活動を通じてその地域や人に最適化していく」という意味を込めています。

 

行っている事業は、自由大学での講義に加え、一般社団法人ハアトクエイク活動や、地域や自然といったテーマで新しい相談がきています。また、今までやっていた仕事の延長線上で、独立する前に勤めていた会社から業務委託という形でプロデュース業務に携わったり、直接のクライアントのコンテンツ作りなども増えています。それと、長年プライバシーマーク取得業務にも携わって来たので、企業側のプライバシーマーク取得担当者の立ち位置でアドバイスを行う業務も受けています。

 

5年後、45歳になった時、このloca-rise productionが法人化しているのか、社会に何かを投げかけるようなプロダクトやサービスをリリースするのか、そのあたりが当面の目標です。

 

<独立のきっかけは、「震災」と「何かを成したい」という気持ち> 

Q: 独立のきっかけを伺えますか?

35歳を過ぎたくらいからうっすらとは考えていました。自分が思っていることをどう表現するか。起業するのか、会社で新規事業を興すのかは、はっきりしていなかったけれど・・・。

 

20代後半から読書をするようになり、中でも歴史小説を読むようになってから「人生で何かを成したい」と漠然と思うようになりました。それが何かは解りません。人によっては家庭を持つ事なのかもしれない、子供を育てることなのかもしれない、あるいは事業や会社なのかもしれない・・・。自分も生きているうちに何かを成し遂げたいと強く思いはじめたのが、35歳あたりです。

 

その思いがもっとも具体的な行動となったターニングポイントが、38歳の時に経験した東日本大震災です。35~40歳までの5カ年計画の途中で起きた、人生で一番のインパクトであろう出来事。自分自身というより、社会が変わった出来事だと思います。

 

 Q: 震災による5カ年計画の変更点で一番大きかったことはなんですか?

仕事に対する考え方と態度、それと自分の原点ですね。「仕事って何?」「役に立つって何?」という自問自答を就職活動をしていたあの頃の様に始めてしまいました(笑) 20代、30代で積み重ねた経験から、「自分に出来る事は何だろう」「そもそも自分の故郷は宮城県」といったように、自分が大事にしなければならないこと、やりたいことが振るいにかけられ、すぐに答えを出すことが出来ました。

 

「社会」というものが自分の中ではっきりとイメージできるようになってきて、自分が暮らしている土地や故郷・地域社会との関わり方を考えるようになっていました。故郷にあるものとどう向き合って行こうかと考え、「親」や「家」といった身近なものはもちろん、次に友人や知人、そしてご縁のあった他人。その結果として「地域社会」や「仙台」といった大きな視点での関係性に繋がっていく。そう考える様になったのがこの震災でした。

 

それと、大切にしたいのは、「自分だから出来ること」があって、それを「面白がってくれる人がいる」といった感覚です。周囲の人を通じて社会との繋がりを意識する、ご縁があった人や身近なものに集中していくイメージです。東北復興学も同じで、「東北のため」ではなくて「自分の故郷との付き合い方」のひとつとして動きだしました。

 

40歳という節目も、脱藩を決意させた一つの要素でした。40歳を迎えた朝、会社を辞めることを決意して、その翌週くらいには辞表を出していました。

 

Q:最後に、 脱藩後の変化や「やっておけば良かった」と思うことがあれば教えてください。

現在の活動の多くが、会社員時代に二足の草鞋でやっていたことなので、独立後も変わらないことが多いです。スタートした今が肝心なので、積み上げて来た人脈・環境をいかに発展させて行くかを考えていますし、これからの10年が次の10年に繋がると思って、引き続き経験を重ねていく感じです。脱藩、という意味では、いま自分が勤めている会社の中で何かを成すための努力をすることが一番良いでしょう。安易に「脱藩」するのはオススメしません。会社は「自分で出来ない経験が、お金をもらいながら積めるところ」。やっぱり、環境が変わっても自分が変わらなければ単なる「ヤドカリ」だし、「覚悟のない脱藩」は意味がないと思うので、今いる環境で吸収できるものは吸収しておいたほうが良いと考えています。

 

 「~たら、~れば」の話をするのは好きではないけど、これまでたくさんの失敗をしました。でも、失敗って大切だと思います。たとえば、部下や後輩が出来た時、自分が同じように壁にぶつかったり失敗した経験をしていないと、心のこもったアドバイスは出来ないでしょう。自身の失敗談を笑って話せる経験を沢山積んでおいたほうが、味わい深いおやじになれて良いと思います(笑)

 

 いつも思っているのが、「この10年間をちゃんとやりきらないと、次の明るい10年は来ない」ということ。特に40代のこれからは、こなしてきた量が質になっている前提で進んでいかなければなりません。質になったものをフル活用して、自分から何かを創っていく、周囲や世の中に提案したり還元していくフェーズだと思っています。

 

 

【質問を終え、こう思いました】

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インタビューしたメンバー。左から松村、大内さん、須藤、跡部

■須藤

脱藩者として歩み出した大内さんからお話を伺い、強く思ったことは以下の3つです。

 1.20代で自分の「ものさし」を作る

2.自分を抑え、失敗を肯定することで、サポーターを増やす

3.目的が変わってきたときこそが脱藩のタイミング 

解像度の高い自分の「ものさし」を持ち、「周囲から必要とされる人」になった人は、組織にとって高価値人材です。組織という「安定したしがらみ」と「自分だから出来ること」を天秤にかけ、周囲のサポートを受けながらも、自分のものさしで選んだ道へ胸を張って歩いていく。そんな人に僕もなりたい。

 

■松村

「安易な脱藩はオススメしない。」「脱藩は今までのシガラミを愛おしく感じ、泣きながらも、自分のやりたいことへ向かっていくこと」といった言葉には大内さんの今の想いを感じることができた。

この言葉たちは、大内さんが手に入れた「ものさし」を基に、今を生き切ってきたからこそ紡がれた言葉なのかなと思う。

まずは僕も、もっと貪欲に「量」をこなすことから始めたい。

 

Posted on 2013-02-12
自然エネルギーを地産地消できる地域に 特定非営利活動法人地域再生機構 副理事長 平野彰秀さん

特定非営利活動法人地域再生機構 副理事長 平野彰秀さん

平野彰秀さんプロフィール

特定非営利活動法人地域再生機構 副理事長

1975年生まれ。岐阜県岐阜市出身。大学入学より14年間東京生活を送る。

東京大学大学院で都市計画を専攻。修了後、商業施設プロデュース会社、外資系経営コンサルティング会社を経て、2008年32歳で岐阜市にUターンし中山間地域の地域づくり活動と、自然エネルギー(主に小水力発電)導入の活動を開始。

2011年9月、人口300人弱の集落、岐阜県郡上市白鳥町石徹白(いとしろ)に移住。

 

平野さんにインタビューした理由

2012年に開催されたフォーラムにて、石徹白(いとしろ)で小水力発電(小規模な発電設備を用いた水力発電)と地域づくりの実践に取り組んでいる平野さんのプレゼンを聞き、華麗な経歴を持ちながらも時代の流れはこちらと確信して脱藩したという、時代の読み方の鋭さ、地域づくりにかける思いとその行動力を知り、もっと話を聞きたいと思ったことがきっかけ。

(さらに…)

 

Posted on 2012-11-07
なりたい自分になるための「脱藩」Back Packers Japan本間貴裕さん・宮嶌智子さん/空間デザイナー東野唯史さん

今回インタビューした脱藩同志の皆様

本間 貴裕さん Back Packers Japan CEO

1985年生まれ。福島県会津若松市出身。
福島大学3年時の春、35リットルバックパックと共にオーストラリアを一周。大道芸人(バスカー)として働きながら旅を続けた。帰国後に内定していたコンサルタント会社を内定式前日に辞退、自身での起業を決意。その後、個人事業でたいやき屋を開業して資金を作り、2010年2月に 株式会社 Backpackers’ Japanを創業。2010年10月に東京 上野にて、ゲストハウスtoco.を開業。東北大震災に伴い、NPO法人マリンサポート青年東北支援隊隊長として3ヶ月間、宮城県石巻市で活動。2012年9月には東京 蔵前にて、Nui. | HOSTEL & BAR LOUNGEがオープン。

東野 唯史さん フリーランス 空間デザイナー
1984年生まれ。名古屋市立大学芸術工学部にて建築デザイン・インテリアを専攻。卒業後は株式会社博展に入社。空間デザイナーとして勤務した後、2010年1月より約1年間の世界一周の旅に出る。帰国後の2011年1月からフリーランスとして活動。東北大震災に伴い、青年東北支援隊として現地ボランティアとして活動。瓦礫撤去のほか、デザイン・写真担当。現在は築約50年の自宅兼事務所をメヂカラハウスと称し、賃貸物件を現状復帰レベルの範囲内でリノベーションしながら生活。不定期にイベントやパーティーを開催予定。2012年9月に東京 蔵前にてオープンした Nui. | HOSTEL & BAR LOUNGEのデザインを担当。

宮嶌 智子さん Back Packers Japan Auditor

1985年 山形県米沢市生まれ。
就職活動をきっかけに所属した学生団体のイベントで本間さんと出会う。大学卒業後はイベント会社に就職。週末の休みも削りながら営業に命を燃やすが、本間さんに「一緒に起業しよう」と誘われ僅か一年で退社。2010年2月の株式会社 Backpackers’ Japan創業に参画し、その後たいやき屋の運営にも携わる。2010年4月より、世界中のゲストハウスを見てくるという大義を背負って100日間の世界一周を敢行。21カ国を回る。帰国後はゲストハウスtoco.の女将として運営の中心に。現在は 2012年9月に東京 蔵前にてオープンした Nui. | HOSTEL & BAR LOUNGEでは、総合マネージャーを担当する。

※左から、本間さん、坂尾さん、筆者、東野さん

インタビュー場所:Nui. | HOSTEL & BAR LOUNGE 

 

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インタビューの目的

今回、共にインタビューを行った坂尾 篤史さんの友人で、「大企業からの内定を蹴り20代で起業」「自分の経験・強みを生かした事業で成功」「近々、”大きなチャレンジ”(インタビュー時にはNui. | HOSTEL & BAR LOUNGE準備中)を踏み出す」といった、まさに脱藩者がいると耳にし、興味を持った事がインタビューのきっかけ。その溢れるバイタリティーの源、共に働く仲間達、”脱藩者” 故の「悩み」や「ズルさ」について知るため、お話を伺いに開業準備まっただ中の Nui. | HOSTEL & BAR LOUNGE  へ。

 

Q:そもそも脱藩した経緯は?

本間さん(以下H):留学先のオーストラリアから帰国して半年、新卒で就職するか、自分のやりたい事をやるか迷っていた。高知の桂浜へ一人旅に出た際に、母親から「やることは全て応援する」 というメールをもらい、後者を選択することを決意した。初めは経験を生かして、旅行業 (ツアー企画からバス手配まで自分で行う)を興そうとしたが、今に至る。

 

東野さん(以下A):新卒でイベント会社に3年勤めた。展示会等のディレクションや運営 を行っていた。競合コンペの勝率が通常4割程度のところ、7割~8割だったこともあり、とても忙しく働いていたが、「自分を必要としている人が居たら、その人の元へ行く」というスタンスが自分の中にあって、それを実現させるために会社を辞め、世界一周 の旅に出た後、フリーランスとして働いている。以前の会社からの仕事も受けるし、自分 がオモシロいと感じた事、必要とされる案件には全て参加する様にしている。

 

Q:自分の武器(ナリワイ)は何ですか?

H:自分にしか出来ない事はないと思っている。ただ、自分がやりたいと感じた事はまずやる、そして悩むというスタンスは常に意識して実行している。自分の中でYES/NOが はっきりしているから、決断がブレることはない。今やっている事がまさにその現れだと 思っている。

 

A:人より容量は良いと思う。そして、何か頼まれた仕事で自分のスキルが足らないと感じたら、とにかくその領域の本を買ってインプットしている。 ex.nuiに関わる事を決めた際、照明に関して知識が無かったため、照明に関する本を積上 る程購入し、読み込んでいた。~本間さん談~

 

Q.「やりたいことを決めたらやる」という考えに則り、行動した際に、リスクヘッジは行ってますか。

H:もちろん真剣にやっている。やらない人は居ないと思う。事前にやるのではなくて、行動を起こしながら常に考えている。今回、nui.を作るにあたって、銀行に事業計画書を 作ってプレゼンして回った際にも、あらゆる問答を想定して6パターンくらいの事業計画 書を作成して、プレゼンに臨んだ。

 

Q.東野さんから見て、本間さんが行っているリスクヘッジの工夫はどういう点だと思いますか。

A:投資家へのプレゼン時、もちろんダメだしを沢山貰う。その際に、必ずダメと言われた 事に対して、言った方に「あなたならどうする?」と質問をして、次のプレゼンのために 計画を練り直していた。その結果6パターンの事業計画書が出来ていた。話し方や表情も その場の雰囲気・人に会わせて変えていた。

 

Q.事業を大きくするにあたり、自分の意志が届かなくなるという不安はなかったのでしょうか。

H:もちろんあった。届かなくなることが一番怖い。ただ、そういう事がなくなることはないと考えているので、そこに対して臆病になってはいない。

 

Q.ヴィジョンをスタッフに伝えていく(共有していく)にあたり、心がけている事はありますか?

H:シンプルに三点。嘘を言わない。ごまかさない。自分を大きくみせない。

A:ヒロ(注:本間さん)の努力はいつも感じている。人との接し方について、正解はないから、 自分の言った事を推敲して、善し悪しを判断して、作り替える(リノベーション)事を継続して行っていると思う。

 

~ここで宮嶌さんが到着~

 

 Q:そもそも脱藩した経緯は?

宮嶌さん(以下M):新卒で1年間イベント制作会社で仕事をしていたが、ヒロに誘われて ヒロが興した会社に入った。イベント会社にはやりたい事があって入ったが、会社に居てやりたい事がで居るのか、(先行き)に不安を感じる事もあり、退職を決意した。会社を辞 めて、資金調達のためにたい焼き屋を始めた際はとても嫌だった。たい焼き屋をやるため に会社を辞めたんじゃない!と。(笑)

 

Q.本間さんと仕事をする上でこころがけている事はありますか?

M:お互い自分の領域を干渉される事が嫌いだから、在る程度分業することを心がけている。私はスタッフのオペレーションや作業の準備、人の採用等を行う。自分の仕事にやりがいを見いだせていると思う。ヒロは資金調達やイベント告知の領域。「○○をやるから いくら必要」といった話もたまにするが、細かい話はしない。お互いを信頼している。自分たちが経営している会社なので、不満は必然的に感じないし、感じる理由がない。不満 などありえない。自分たちが頑張らなかったら終わりだと思っています。

 

~印象に残ったエピソード~

ゲストルームのベッド横に取り付ける電飾(60個あまり)をどう取り付けるか本間さん・宮嶌さんがブレスト。宮嶌さんは数・取り付け方を教えて、どう取り付けるか2パ ターンを提案する。本間さんはそれを聴いて、決断を下す。その間30秒程度。完全な分 業。会社という組織に置き換えると、社長と各事業部署(部長)の関係性を二人が体現し ている様に感じた。

 

※インタビュー中、スタッフに指示を出す本間さん(中央)

 

Q.今までインタビューした脱藩者は、働くことの目標と人生の目標がシンクロしていると 感じているのですが、仕事を通じての目標はどう捉えていますか?

H:ない。わからないし、今がゴールなのかもしれない。何かを始めると、外的要因(人や環境)により、新たなやりたいこと・やるべきことが見えてくる事がある。そうやって 自分の目標を都度設定して進んで来たので、おそらく今後もやる前に見えている事はない と思う。

 

Q自分のメンターはいますか。

H:いない。30代で起業して会社をいくつも持っているという様な、「現代の社長」を体現している様な人にはまるで興味がない。今後メンターが出来るとしたら、自分より歳がかなり離れたおじいちゃん世代の方なんだろうと漠然と思っている。

(さらに…)