脱藩者Interview

自分ができることで、地域社会に貢献していく loca-rise production代表 大内征さん

2013-01-24 12.41.06

大内征さんプロフィール 

loca-rise production 代表/プロデューサー/自由大学復興クラブ・プロジェクトリーダー

宮城県仙台市出身。これまでにセールスプランナー、マーケティングディレクター、プロデューサーなどの職を務め、多数のプロジェクトデザイン&マネジメントを手がける。現在、ローカライズ プロダクションを設立。「故郷・地方・地域社会・自然」をテーマにコンテンツ・プロデュースを展開中。自由大学では2011年より『復興クラブ』のプロジェクトリーダー、『東北復興学』では教授、『東京・日帰り登山ライフ』ではキュレーターとして活躍中。

 

大内さんにインタビューした理由

自由大学脱藩学 1期でインタビューさせていただいた大内さんが2012年12月に会社を辞め、 loca-rise productionを設立し、独立しました。独立されたこのタイミングで、今までの生き方や脱藩の目的・脱藩して思うこと等、改めてお話を伺いたいと思いインタビューの機会を頂きました。

 

<「量が質に変わる」を信じて、経験を積んだ20代>

 Q: 経歴について詳しくお聞かせください。 

遠回りな人生を送って来ましたね。2年浪人していたので20歳で東京に出て来ました。大学を出てからも「スーツを着てサラリーマンになる」イメージが持てずにいました。目的も無く、ただ右から左へ流されるように就職活動し、某大手企業から内定を頂きましたが、このまま社会に出る事に対して煮え切らない思いを抱えていました。「目的がないまま就職したら、流されたまま仕事をやり続けてしまう」と思い、内定は辞退し1年間フリーターに。今思えば、ちょっと甘かったですが(苦笑)

 

その1年は、学生時代にかじったイベント設営・ディレクションの仕事を行っていました。広告代理店と仕事で関わる日々。たとえば、某バンドのコンサートツアー設営のディレクション業務や、某大手企業のショールームこけら落としイベントなどを担当していました。収入は、月に当時の新卒月給の二~三倍稼げる時もあれば0円の時も。これではやはり不安だったので、第二新卒を対象にした採用活動を利用し、BtoBでセールスプロモーションを行う会社に入社しました。仕事を通じ、各企業や業界が持つ悩み・ビジョンを肌感覚で知る事が出来たことは大きな財産になりました。

 

 いずれ今の経験を礎に次のステップに向かいたいと考えていたため、経験を十分積んだ後に、より広く活躍の場と学びの機会があるマーケティングの専門会社に転職しました。

 

 Q: 「自己実現」が目的だった20代、意識されていたことがあれば教えてください。

とにかく経験を積む。いつしか「量が質に変わる」ことを信じていました。20代の半ばまでは、つべこべ言わずにとにかくガムシャラに働くことで経験を積むよう意識していました。もちろん、ただ数をこなすのではなく、創意工夫を重ねて質への転化を図ったりしながら。 

 

何事も後悔しないためには、「自分のものさし」を掴んでおく事が必要だと考えました。経験が少ないうちは自分のセンスを信じてなにもしなかったり、曖昧な理解で世の中を切り抜けようとしますが、経験や知識に恵まれるとやがて「知恵」になって世の中のことへの対応力が向上する。だから沢山の物事を知っておいたほうが良いと思います。ネガティブな解釈をする人は、「知識を持っていても役立てなければ意味が無い。単なる知識自慢だ」と揶揄する傾向がありますが、何も知らないのと、知識を身につけているのとでは、違いは明確だと思います。

 

30代までに、意識的に経験を積む習慣を持っていないと、後々困るのではないかと漠然と考えていました。第一線で活躍する人達の言葉を素直に聞き入れて信じ、まずは量をこなす。基本的にはあてがわれた仕事はNOと言わずやり遂げる。誰もやってない仕事があれば、手を挙げる。誰も気にしていない事を企画にしてみる・・・。ブルーオーシャンなことを探しては行動し、どんどん「モノ」にしていきました。

 

 目的が「自己実現」から「社会」や「周囲」に変わってきた30代>

Q: 「量が質に変わった」と実感した瞬間はいつですか。 

30歳を過ぎた頃でしょうか。そこで転職を経験、結婚もしました。「社会に出て5、6年過ぎた際にひと波くる」と言われますが、 人より遅れて社会に出ている自分にとっては、それが30歳頃。今思えば、このタイミングで自分の成長欲求に従い、ベンチャーのマーケティング会社へ転職したことが大きな転機のひとつです。プロデューサーとして働く中で、「自己実現」よりむしろ「周囲の人・組織・社会の役に立ちたい」といった目的に変わってきました。チームで上手く仕事をこなすために自分がどう黒子になるか?

 

プロデューサーという仕事は、仲間がいないと仕事が完遂しません。ひとりでは何もできませんから、チームで物事を組み立てていくことに意識を向ける必要があります。正しいロジックを振りかざしても、結局ひとりで仕事をしているわけではなく、周囲の仲間に気を配って動かなければ、チームとしてうまくいかないですから。その時に、たとえばサッカーをやっていた経験(ゴールを目指すために組織としてどうするか考えてやる)や子供の頃の遊び(ゲームで敵をどう倒すか)が仕事にも活きていると感じ始めたんです。

 

子供の頃に経験したことに、仕事で必要なことを置き換えて考えてみるという「物事を難しく考えないコツ」がわかってきました。自分の原風景や原体験の中にさまざまな解決策が眠っているということが、感覚的にわかってきたのです。そこに着目することが出来た時が、まさしく「量が質に変わってきた瞬間」だったように思います。

 

<自分だからできること「ローカルにサンライズを」>

Q:今やられている取り組みについてお話を聞かせてください。

loca-rise production loca-rise productionという屋号で活動しています。故郷/地方/地域社会/自然をテーマに、良い体験・学びの場づくり、交流を深める場をつくっていく。ご縁のあった方はもちろん、ゆくゆくは地域やコミュニティを通して社会貢献をしていきたいと考えています。また、自由大学では復興クラブ、東北復興学、東京・日帰り登山ライフを担当しており、これらの講義やプロジェクトを通して、受講生などご縁のある人の力になっていきたいと考えています。

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屋号には2つの思いを込めています。ひとつは「ローカルにサンライズを」ということ。地方だけでなく、ぼくが暮らしている東京にだって「ローカル」はある。そこで暮らす人々・訪れる人々が楽しくなる事を興していきたい、と考えています。そして、「ローカライズ」という言葉にはもう一つ意味があって、たとえばソフトウェア開発等でよく使うんですが、アメリカで生まれたソフトウェアを日本に適合させる。その地域に合う様に言語やインターフェースに置き換えて使い易くする、といった意味があります。それをもじって「地域や人にある課題を解りやすく噛み砕いて説明したり、活動を通じてその地域や人に最適化していく」という意味を込めています。

 

行っている事業は、自由大学での講義に加え、一般社団法人ハアトクエイク活動や、地域や自然といったテーマで新しい相談がきています。また、今までやっていた仕事の延長線上で、独立する前に勤めていた会社から業務委託という形でプロデュース業務に携わったり、直接のクライアントのコンテンツ作りなども増えています。それと、長年プライバシーマーク取得業務にも携わって来たので、企業側のプライバシーマーク取得担当者の立ち位置でアドバイスを行う業務も受けています。

 

5年後、45歳になった時、このloca-rise productionが法人化しているのか、社会に何かを投げかけるようなプロダクトやサービスをリリースするのか、そのあたりが当面の目標です。

 

<独立のきっかけは、「震災」と「何かを成したい」という気持ち> 

Q: 独立のきっかけを伺えますか?

35歳を過ぎたくらいからうっすらとは考えていました。自分が思っていることをどう表現するか。起業するのか、会社で新規事業を興すのかは、はっきりしていなかったけれど・・・。

 

20代後半から読書をするようになり、中でも歴史小説を読むようになってから「人生で何かを成したい」と漠然と思うようになりました。それが何かは解りません。人によっては家庭を持つ事なのかもしれない、子供を育てることなのかもしれない、あるいは事業や会社なのかもしれない・・・。自分も生きているうちに何かを成し遂げたいと強く思いはじめたのが、35歳あたりです。

 

その思いがもっとも具体的な行動となったターニングポイントが、38歳の時に経験した東日本大震災です。35~40歳までの5カ年計画の途中で起きた、人生で一番のインパクトであろう出来事。自分自身というより、社会が変わった出来事だと思います。

 

 Q: 震災による5カ年計画の変更点で一番大きかったことはなんですか?

仕事に対する考え方と態度、それと自分の原点ですね。「仕事って何?」「役に立つって何?」という自問自答を就職活動をしていたあの頃の様に始めてしまいました(笑) 20代、30代で積み重ねた経験から、「自分に出来る事は何だろう」「そもそも自分の故郷は宮城県」といったように、自分が大事にしなければならないこと、やりたいことが振るいにかけられ、すぐに答えを出すことが出来ました。

 

「社会」というものが自分の中ではっきりとイメージできるようになってきて、自分が暮らしている土地や故郷・地域社会との関わり方を考えるようになっていました。故郷にあるものとどう向き合って行こうかと考え、「親」や「家」といった身近なものはもちろん、次に友人や知人、そしてご縁のあった他人。その結果として「地域社会」や「仙台」といった大きな視点での関係性に繋がっていく。そう考える様になったのがこの震災でした。

 

それと、大切にしたいのは、「自分だから出来ること」があって、それを「面白がってくれる人がいる」といった感覚です。周囲の人を通じて社会との繋がりを意識する、ご縁があった人や身近なものに集中していくイメージです。東北復興学も同じで、「東北のため」ではなくて「自分の故郷との付き合い方」のひとつとして動きだしました。

 

40歳という節目も、脱藩を決意させた一つの要素でした。40歳を迎えた朝、会社を辞めることを決意して、その翌週くらいには辞表を出していました。

 

Q:最後に、 脱藩後の変化や「やっておけば良かった」と思うことがあれば教えてください。

現在の活動の多くが、会社員時代に二足の草鞋でやっていたことなので、独立後も変わらないことが多いです。スタートした今が肝心なので、積み上げて来た人脈・環境をいかに発展させて行くかを考えていますし、これからの10年が次の10年に繋がると思って、引き続き経験を重ねていく感じです。脱藩、という意味では、いま自分が勤めている会社の中で何かを成すための努力をすることが一番良いでしょう。安易に「脱藩」するのはオススメしません。会社は「自分で出来ない経験が、お金をもらいながら積めるところ」。やっぱり、環境が変わっても自分が変わらなければ単なる「ヤドカリ」だし、「覚悟のない脱藩」は意味がないと思うので、今いる環境で吸収できるものは吸収しておいたほうが良いと考えています。

 

 「~たら、~れば」の話をするのは好きではないけど、これまでたくさんの失敗をしました。でも、失敗って大切だと思います。たとえば、部下や後輩が出来た時、自分が同じように壁にぶつかったり失敗した経験をしていないと、心のこもったアドバイスは出来ないでしょう。自身の失敗談を笑って話せる経験を沢山積んでおいたほうが、味わい深いおやじになれて良いと思います(笑)

 

 いつも思っているのが、「この10年間をちゃんとやりきらないと、次の明るい10年は来ない」ということ。特に40代のこれからは、こなしてきた量が質になっている前提で進んでいかなければなりません。質になったものをフル活用して、自分から何かを創っていく、周囲や世の中に提案したり還元していくフェーズだと思っています。

 

 

【質問を終え、こう思いました】

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インタビューしたメンバー。左から松村、大内さん、須藤、跡部

■須藤

脱藩者として歩み出した大内さんからお話を伺い、強く思ったことは以下の3つです。

 1.20代で自分の「ものさし」を作る

2.自分を抑え、失敗を肯定することで、サポーターを増やす

3.目的が変わってきたときこそが脱藩のタイミング 

解像度の高い自分の「ものさし」を持ち、「周囲から必要とされる人」になった人は、組織にとって高価値人材です。組織という「安定したしがらみ」と「自分だから出来ること」を天秤にかけ、周囲のサポートを受けながらも、自分のものさしで選んだ道へ胸を張って歩いていく。そんな人に僕もなりたい。

 

■松村

「安易な脱藩はオススメしない。」「脱藩は今までのシガラミを愛おしく感じ、泣きながらも、自分のやりたいことへ向かっていくこと」といった言葉には大内さんの今の想いを感じることができた。

この言葉たちは、大内さんが手に入れた「ものさし」を基に、今を生き切ってきたからこそ紡がれた言葉なのかなと思う。

まずは僕も、もっと貪欲に「量」をこなすことから始めたい。

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Posted on 2013-03-12 | Posted in 脱藩者Interview | No Comments »

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